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Oz

(オズ)

 
     
   
  【プロフィール】
1977年ブラジル、サンパウロ生まれ。ブラジルに駐在する両親のもとで、中学卒業までを過ごし、高校入学と同時に単身東京へ。いわゆる帰国生だが、ブラジル生まれのため2つの国籍を持つ。東京工芸大学映像学科卒業後、フリーとして、イラスト、アニメーション、WEBデザインを中心に活動。2002年4月より名古屋学芸大学映像メディア学科助手。2006年春からは東京に拠点を移し、活動予定。

■2つの文化の狭間で
ブラジルで生まれ育ちましたので、当時から、そして今も僕にとって祖国はブラジルという気持ち、感覚が強く、日本へはどちらかというと「来る」という方が近い気がします。高校入学の段階で、現地のアメリカンスクールか、日本の高校かという選択肢があったのですが、寮のある日本の高校に入ることを選びました。ずっとブラジルでも日本人学校に行っていたので、日本語はまあ普通に。

ブラジルでも日本のテレビ番組の録画とかよく見ていたので、同級生との話題についていけないということはあまりなかったですが、ギャップはありました。ブラジルにいた時は「自分も日本人だ」と思っていたのですが、日本に来てみたら、なんか「思っていたほど日本人ではなかった」という感じで。高校では僕のような帰国生が多いのかと思っていたのですが、僕を含めて3人しかいなくて。最初の半年・1年はけっこう、細かいことがズレているのが気になりました。寮の生活は1部屋1人ではなかったので、生活習慣の違いにとまどうというか。コミュニケーションとか、対人的な距離とか。寮に入っている他の生徒たちは、学業に集中する目的で入っているような、進学校だったので。

子どもの頃は、現地のカートゥーンはもちろんですが、『ドラえもん』とか日本のアニメも見ていました。でも、マニアックに好きなわけではなかったですね。むしろ「ドリフターズ」とか好きで(笑)。僕はちっちゃい頃から絵ばっかり描くような子どもだったんですね。だから、大学に行くことを考えたときにも、そういう方面で。たまたま友人が映画好きで、連れまわされて映画を沢山観ているうちに映像も面白いなと思うようになり、大学も絵をやるか映像をやるか迷ったのですが、両方受けて受かった方にいくと決めて、たまたま都合よく絵の方が落ちて、映像の方が受かったので映像をやることになったのです。ハリウッド映画とか、ジブリ作品とか、邦画とか、何でも好きでしたね。

アニメーションを選んだのは、「自分で全部やりたい」という感覚が強かったからですね。映画だと、スタッフも大勢必要だし、ひとつの役割しか1度にはできないし、自分だけではできないじゃないですか。また、自分の描きたかった世界を映像にするときにアニメーションがむいていると思ったこともあります。最初は、クレイとかパペットとか、コマ撮りのアニメーションを作り始めました。映像学科では、3年生で研究室を選んで所属するんですけど、専門の先生がいなくて。何でもできるという「映像表現」の研究室に行こうとも思ったんですが、競争もあって「CG(コンピュータ・グラフィックス)」の研究室に進んで。そこで、CGでアニメーションを作るということに出会いました。

その頃はまだあまり映像を大学で教えるところが多くなくて、僕も3期生だったんですけど、ちょうど映像をコンピュータで扱うということが一般化してくる頃で。最初にさわったマシンはアミーガっていう、今では化石のような感じですね(笑)。けっこう機能は充実していて、リアルタイムでスイッチングができるとか、そんな感じで。3年生の時に、コンピュータ自体も買える値段になってきたので、親にお金を借りて買って。それでも80万円とかしましたね。

大学卒業後に、映像制作のプロになる人はそれほど多くなくて、むしろ普通に就職活動をして一般職に行く人が半分くらいかな。もちろん芸術関係の仕事につきたい人も多いのですが、やっぱりちょっと難しい。僕自身は、大学3年生の時からイラストレーターの仕事をしていて、その頃の仕事としては、大手企業のWEBのキャラクターとか背景とかもあります。

大学を卒業したあと、作品を作るために大学に一年間研究生として残り、その後フリーランスで仕事をしたあと、ご縁があって名古屋に大学の助手として来ることになりました。今は助手として学生さんたちと一緒に制作していますが、あまり「教えている」という意識はなくて。「これ面白くない」とか、そんなふうに言ったりする感じで。

東京に戻ったあとは、映像スタジオに所属するというようなことも考えています。現場をもっと知りたいし、スキルアップを目指して、という感じですね。

■作品『The Dream of Reed』について

「てれれ」に出したのは、あの作品だけです。オリジナル作品はいくつかあるのですが、なかなか終わらなくて。友人で「てれれ」に出している人がいて、その人の紹介で。大阪には1度しか行ったことがありません(笑)。

仕事とかバイトで作品をつくるのと、「てれれ」に出すような自主制作作品とは、自分の中では区別がないですね。僕にとって、アニメーションを作る、落書きしてる、絵を描く、そういうことは、全部同じことで。たまたま今面白いからやってる、ゲームをしていて楽しいっていう感覚と同じなんですよね。

アニメーション制作の場合、仕事で依頼されてつくることも多いです。だけど、自分自身の作品を作る方が多いですし、そういう作品も自分の中では等価なものとしてあります。お金がもらえるかもらえないか、自分だけでやるかチームでつくるかの違いはありますけどね。だから、完成しても発表しないでそのままとかいう作品もけっこうあったりして。つくるのが楽しいので、そのあとのことはあまり気にならないのかな。『The Dream of Reed』はけっこうたくさん賞をもらったりしましたけど、つくるときはそういうことを意識してつくっているわけじゃないし、見せることをあんまり意識していないですね。

ただ、『The Dream of Reed』の場合は、商業的な依頼からはけして出てこないようなアイディアではあると思います。発端になったアイディアっていうのは、実は9・11(2001年のアメリカ同時多発テロ事件)にあるんです。WTCのビルに飛行機がつっこんでいく、あの映像を見ていたときに、自分では何が起きているのか、ぜんぜん理解できなかったんです。テレビでリアルタイムで映像を見ていたんですけど、現実味がない。映画のなかの出来事のほうがむしろリアル、というか。現実味がなくて、現実の出来事を消化できない、これってどうなの?という感じがいつまでも残って。後になってからとんでもないことが起きたんだ、って分かる、そういう衝撃をそのまま味わえる作品を作りたかったんですね。それで、わざとハッピーエンドに行きそうな話を組み立てて、最初は不幸だけど後は幸せになれるんだよっていうのをぶちこわすっていう話にしました。

というわけで、『The Dream of Reed』を作った動機はわりと自分の中でも特殊なものですが、他の作品でも「毒」と「笑い」はなるべく入れようと思っています。「毒」だけでも「笑い」だけでも面白くない。両方あって世の中成立していると思うんで。

『The Dream of Reed』は、9・11のあと、2002年に作った作品ですが、感想で「なんてひどいんだ」とかそういう反応が返ってきたときにだけ、その衝撃を感じてくれてコメントをくれた人にだけ、「実はあの作品は・・・」とその背景を説明してきました。だから、あんまり自分から人に言う話ではないんですけど、、自分のWEBサイトでもその話は載せるかどうか迷って、結局載せてないんです。

9・11の事件は「世界が変わった」という感じだったですね。これがきっかけで「この世界が変わっていくんだ」とか、そういう感じを受けました。これで戦争に向かっていくんだとか、「うとうと」していたときに急に起こされた、というか、またとんでもないことが起こるんじゃないかとか、いろいろ。ものを作る人間としては、あのショックを素材にした作品をどうしても作ってしまう、そういう大きな素材をひとつ手に入れたっていう感じですね。でも、9・11そのものを題材にしたくはなかった。これはなんなんだろう、っていうあの衝撃、ドキッっていう終わり方、そこにもやもやが残る作品にしたかったんですね。

少女や他の登場人物のプロットは詳細に決めてから作りました。どこか架空の国の話で、分かりやすい古びた感じを出すためにヨーロッパ的なイメージを使っただけなんです。あくまでも架空の国、場所。細部の設定を細かく決めれば、あとはキャラクターが勝手に動いてくれますから。Reedというのは植物の「葦」のことで「人間は考える葦である」という有名な表現になぞらえて「人」という記号で使っています。簡単に言うなら『The Dream of Reed』は「人の見た夢」ということです。

制作したマシンは、 Windowsです。別に特殊なことはしてなくて、フォトショップで1枚1枚描いたのを重ねているものです。初めから動画として描くことができるわけです。

SE(音響効果)と音楽もオリジナルで、同じ大学でサウンドの授業を担当されている森さんというプロの方にお願いして作ってもらいました。イメージとしては、昔のサーカスとかで「はじまりはじまり」っていう感じで流れる音楽とか、あと綱渡りとかのときに流れる音楽。たぶんジプシー風の音をイメージして。あれはアコーディオン演奏ではなくて、コンピュータで合成した音楽です。

 2006年3月9日 名古屋にて 聞き手&構成 石田佐恵子

 
     
 
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