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Bang Eul Suk
バン・イソク

 
     
   
 

■プロフィール
僕はメディアクトで勉強したわけではなく、独立映画の活動をしているなかで、インディフォーラムという団体をつくり、そこでメディアクトのオ・ジョンフンさんと一緒に仕事をすることになることで、メディアクトとかかわりをもつようになりました。学部では映画演出を勉強し、それから広告会社で少し働き、映画アカデミーでアニメを習い、大学院で映像を専門的に勉強してから、高校などで映像教育を教えたこともあります。今は独立放送プロダクションで放送番組を作っています。

■二つの作品について
『ニュースペーパー』は2002年製作、2003年度公開された映画アカデミーの卒業作品です。『金魚の墓』は2000年度製作、2001年度公開された中央大学の学部卒業作品です。


私の作品の場合は配給社がすでに決まっていたし、メディアクトから私の同意なしで公開されるとは思いませんでした。でも、今はもっと多くの人々に見せられることになり、非常に光栄だと思います。商業的な目的以外で使えるならいいのではないかと思います。手続き上の問題はありましたが、今はすべて解決されました。

ーアニメについて
私の専門はもともと映画演出です。映画のなかで実写を使ったアニメの方法を使っているだけです。アニメは視覚的なインパクトを与えるために、借用したものであり、実際はアニメに固執するわけではないです。作品のコンセプトにあわせて、型式や美学にあわせた方法でアニメをつかっているのです。映像言語の語彙を増やすために、アニメを使っていると思ってください。私は作品のなかでビジュアルなインパクトを重視します。美術にも興味を持っており、現実を高度に歪曲されると映画になれると思ったので、アニメを使いました。

―『Newspaper』について
現実や時代を反映したものですね。私の考え方が反映されたとも思います。メディアの歪曲や報道に関して人々はそのまま受け入れる傾向があるが、私はその傾向に「我々はメディアの報道をほんとうに正しく受け入れているのか」という問いをただ投げかけたかったのです。一枚の紙にすぎない新聞が社会を分裂させたり統合させたりするのは果たして正しいのか。もし、翌日の新聞に犯罪者と英雄の写真が故意やミスにより、入れ替わったとき人々はどのようにみるのか、という問いからこの作品は作るようになりました。

―『金魚の墓』について
『金魚の墓』はその当時、僕が感じていたものだと思います。私が信じていたすべてが、生命の倫理や価値観、倫理観、保護しようとしたものがすべて転覆される危機に会う機能性について表現したかったのです。私が保護しようとしていた金魚たちと、私が唯一信じていたクライエントが私を裏切るということが社会のなかのどこにもあると思います。しかし、我々が守るべきであると思っている対象は本当にそうなのか、その価値は洗脳されたものではないのか、などについて考えました。僕は個人的にちょうど失恋したばかりであり、そのことについても考えました。

―黄教授事件と似ているのでは?
あのときは考えませんでしたが、今、考えると、イラク人質事件にかかわったキム・ソンイル事件があると思います。もちろん、キム・ソンイル事件は僕の作品より後で起きた事件ですが…。政府は毎日のようにメディアに登場し、彼を救ってくるとか、かならず韓国に帰国させるといつも言っていましたが、結局彼は殺されてしまったわけです。民主主義や資本主義を発展させたといわれる韓国という国で人々を騙していたことが私はおかしいと思いました。左派や右派というイデオロギーの理論に関係なく、人間はどこでもいつも人々を裏切ったり、騙したり、騙されたりするのです。

―今の時代、人々はそんなにメディアを信じるのでしょうか。
僕は高校で映像演出を教えたことがあります。そのとき、学生たちはあんまりにもたやすくメディアをそのまま信じていました。それが正しいものだと、洗脳され、教育させられたからです。彼ら/彼女たちは自分たちが信じていることが正しいことであると純粋に思っていました。

―作品のトーンが落ち着いていますが。
そんなつもりはなかったのですが、時代や社会を反映しようとしたら、そのように暗くなってしまいました。僕は作品のなかで希望をあきらめているわけではないですが、希望を提案するほど僕がすごい人ではないのです。その解決策は観客の役割です。上映会で観客との話し合いで解決を見つけ出したりもします。僕はただ問いを投げかけただけです。

―今、作っているものは?
主人公は有名な絵を模写する人ですが、彼も一生懸命努力するわけです。でも、すでにある作品を模写するということだけで、彼は犯罪者になってしまうのです。僕の作品をもっと多くの人々がみるようになると、小さい短編でも人々が僕が投げかけた問題について考えてくれるようになると思います。

―短編にこだわる理由は?
最近は韓国の独立映画は長くなっているのです。昔は高価のフィルムを使わないといけなかったので、低予算でとらないといけない状況では、長いものはできませんでした。しかし、デジタルはその状況を変えたのです。安いテープで何回も何回も取り直しが利くので、撮りたいものを考えず撮るようになりました。その反面、インスタント映像に慣れてしまい、深い映像は出にくくなりました。

今の韓国では商業映画が発達し、資本が集中してしまうことで、独立映画は商業映画のサブジャンルだと思うようになりました。昔は商業映画も独立映画もどっちにしろ、売れなかったので、どうせ撮っても売れないなら「自分だけの作品」を撮ってみようと思っていたのです。今は、商業映画を撮るため、独立映画をとっている人も多くなりました。独立映画の状況はますます厳しくなると思います。

―最初から独立映画を?
僕は最初に広告会社に勤めました。しかし、いくら僕が美学的に映像的にすばらしいと思っても、モデルや広告主がいやだといってしまうと、おしまいなのです。僕もいつか家族をもつようになると、お金も必要になるし、商業的なものをとらないといけなくなると思います。それで、若いときに、自分の色が出る映画をとろうとおもって、いろいろなものを撮り、それを出品したり、その関連の集まりなどに行ったりしたのです。そのような場所に集まった人々がみんな独立映画を作る人々だったのです。それから自分で独立映画というものについて調べたり、考えたりするようになりました。

―自分の作品について
作品のなかで説明や主張は極力避けました。そういうところが難解だったかもしれません。

僕は実写とアニメを借用しているので、普通のアニメとは違うと思います。大学では映画演出を専門とし、映画アカデミーではアニメを専門にしたのです。僕は「かわいくてキッチュ」なものをみるのは好きですが、作るときは質感のタフなものを好むのです。色は主に黒を好み、オブジェを使うのも好きです。母が中学校で美術を教えていたので、小さいときから絵を描くときがいちばん幸せでした。学校のときはマンガを描いてクラスメートに売ったこともあります(笑)。母は僕に特定のものを強要したわけではなく、個性を尊重してくれました。日本のアニメはすごく好きだったし、ドイツの表現主義映画も好きでした。たぶん、僕の作品のなかにはこの二つの傾向が接合されたと思います。今もマンガは好んで読んでいます。

―いままで作品をみせた場所は?
主に映像際や特別な上映会において上映されました。しかし、韓国ではまだ独立映画専門館がない状況です。独立映画を上映してもお金にならないからです。芸術映画専用館がやっとひとつ作られましたが、そんなに活性化されてはいないのです。独立映画は僕の考えでは酸素呼吸器と同じだと思います。人工的に酸素を公給しないと、死んでしまうのです。

―独立映画というジャンルについて
概念やジャンルについてまだまだ確立されてはいません。巨大資本や習慣などから独立された映画を独立映画だと思えるかもしれません。投資家が投資したからこんなものを作ってくださいといわれても作らなくてもいいようなものが独立映画なのです。

―今、思うこと
独立映画は売ることもできないし、配給もまだまだ難しいのです。僕は現在、主流放送プロダクションとは差異化された放送プロダクションで働いているのですが、商業路線に近くなってきたと思います。

もちろん、独立映画の限界はありますが、既存の映画文法からできるだけ出ようと思います。僕は高校で教えていたときもできるだけ、映画の文法を破壊しようと教えました。年をとればとるほど、画一化されてしまい、同じものしか作れないですが、独立映画はその代案になるし、自分の色をもっとも出せるものだと思います。そんな意味で商業映画とは異なる意味で保護していくべき映画ジャンルだと思います。しかし、まだ独立映画という概念もないし、いつかは商業映画を越えることもできるかもしれません。でも『金魚の墓』でもいいまいたが、保護していくことばかりが必ずしも独立映画のためであるとは思いません。独立映画の主なコンセプトだったものがだんだん商業映画に移っている状況だし、商業映画の方が観客にたくさんみせられるからです。映画に型式はそんなに重要ではないのです。

インタビュー&構成&日本語訳 梁仁實(ヤン・インシル)

 

 
     
 
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