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  Kubota Junko
久保田 順子(くぼた じゅんこ)
 
     
     
  【プロフィール】
1941年仙台生まれ。岩手県育ち、同県にて美術の高校教師として定年まで勤める。元々の専門は抽象画(アクリル絵)。定年を迎える年のある日、雑誌『美術手帳』で学校案内を見て、大阪の彩都IMI大学院スクール映像表現科に入校を決意。IMI卒業後、宝塚造形大学大学院に進学。精力的に「てれれ」に作品を発表し続ける。2005年春に地元仙台に拠点を戻し、現在は仙台の市民メディアネットワークと「てれれ」との橋渡し役に活躍中。


 定年後に来阪したとき、動画、映像については全く知識がなかったですね。高校の授業でもパソコンが導入される頃で、定年でほっとしていたら、IMIでパソコンを使った映像編集に初めて出会い、とまどいました。それまでやっていた抽象画を続けてもよかったのですが、何か「絵が動かないのは面白くないな」「絵を動かしたいな」という気持ちがあって。パソコン編集にはなかなかついて行けなかったですけど、退職金でカメラやパソコンなど一式揃えました。

 映像表現の学校に進んだのは、ぜひ撮りたい題材があったからです。教師時代に生徒たちと大きな「野焼き祭り」というのに行って、それは中学校の校庭に穴を掘って野焼きをするものなのですが、その火の大きさや夜の感じに魅了されて、ぜひそういう題材で映像作品を撮りたいと思っていました。他にも岩手の郷土に伝わる珍しい踊りとか、失われていく民俗芸能を撮りたいな、と思っていたのです。

 大阪に来たのはある意味、たまたまIMIの案内が目に付いたからで、「遠い」とかそういう感覚は全くなかったですね。結局、2001年から4年間を大阪で過ごしました。IMIで過ごした1年目はとにかく若い人たちに混じってパソコンと格闘して、10年過ぎたと感じるほど長かったですね(笑)。

 下之坊さんに出会ったのは、学校に行っているだけでは駄目で、もっと他の場所が必要だと感じていた頃です。01年の秋頃ですね。ドーンセンターや豊中市のビデオ講座によく出ていたのですが、そこに講師として来られていたのが下之坊さんです。やさしい先生がいるなー、という感じでした。その時は、仙台から大阪に行ったカルチャー・ショックを題材にした作品とかを撮りました。02年も大阪で自主制作を続けましたが、03・04年は、宝塚造形大学の大学院修士課程に進みました。当初の目的だった「野焼き」を題材にした作品(IMIの卒業制作)や大学院の修士卒業作品が比較的大きなものですが、それ以外に、03年から始まった「てれれ」でもたくさんの作品を出してもらいました。

 いろんな作品がむくむくと撮りたくなるんですね。そのときに「発表してくれる場がある」というのはすごいことだと思います。「こんなんでいいの?」という感じ、「恥ずかしい」という感じもありますが、うれしいことですね。

 仙台に拠点を移した今年以降は、もう一度「野焼き」を題材にした作品に再挑戦したり、民俗芸能を題材にした作品などを撮っていきたいと思っています。


■作品『サンバ!サンバ!サンバ!』(2003/4)について

 友人の紹介でサンバ教室に面白い題材がありそうだというので出かけて行きました。サンバは、音感や運動神経のある人だけでなく誰でも踊れるよッ、という話を聞いて、そういうのは憧れでもありました。撮影時期は、2002年、まだマツケンサンバの流行る前です。3時間ほど撮影して、編集に3日ほどかかりました。みんな楽しそうに踊っていたので、その感じを出そうと思って編集しました。

 「てれれ」に出して観客からの反応としては、「サンバの先生のインタビューが面白い」と言われたことが印象に残っています。この作品は、2002年の制作ですから、まだビデオを自分で制作し始めた頃のもので、人の動き、特にダンスを撮ることの難しさを実感しました。作品として出来は良くありませんが、思いの詰まったものです。

2005年10月21日 山形にて 聞き手&構成 石田佐恵子
 
     
 
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