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  Tomioka Michi
冨岡 三智(とみおか みち)
 
     
 
 
 
"Dharmaning Siwi"を踊る冨岡三智(右端)
この作品はDjoko Tutuko(ジョコ女史の長男)の作で、「弟子のとるべき教え」の意味。宮廷舞踊家の祖父、母の教えをテーマにした作品で、私も弟子の1人として出演。2003.1.31 スラカルタにて。撮影Boy。
 
     
  【プロフィール】  
 
ジャワ舞踊の実践(宮廷舞踊の掘り起こしと継承、それを元にした創作)と研究に取り組む。大阪大学文学部卒業、1992年からSriSuciati Djoko Suhardjo女史にジャワ女性舞踊を師事。1996〜1998年、および2000〜2003 年に、インドネシア国立芸術大学(STSI)スラカルタ校に留学。2005年、大阪市立大学大学院文学研究科・アジア都市文化学専攻・前期博士課程修了。現在、後期博士課程在学中。2006年8月より、日本財団APIFellowshipを得て、再びスラカルタにて舞踊調査を行っている。活動テーマは“Revaluing Javanese Court Dances (Srimpi and edhaya)in the Recent Social and Cultural Contexts”
 
     
  ■作品の舞台  
 

「冨岡三智・スラカルタ・コレクション―ジャワの結婚儀礼」
「冨岡三智・スラカルタ・コレクション―ジャワの千日供養」

これらのシリーズは、私がスラカルタに留学していた時に、舞踊の師であるSri Suciati Djoko Suhardjo女史(以下ジョコ女史)の家で撮影したものである。私的なドキュメントとして撮影したものだが、このたびジョコ女史の許可を得て編集し、UCRCコレクションに公開した。 「ジャワの結婚儀礼」シリーズの主人公である花嫁はジョコ女史の義理の姪、「ジャワの千日供養」の主人公である故人は、ジョコ女史の姑(次に述べるクスモケソウォの妻)に当たる。 これらの儀礼の舞台となっている屋敷は、ジョコ女史の舅である宮廷舞踊家クスモケソウォKRT KoeSoemokesowo(1909-1972、ラーマーヤナ・バレエ振付家として有名)が、結婚に際して宮廷から賜ったものである。

ジャワでは、王宮をはじめとして貴族の屋敷にはプンドポと呼ばれる建物が必ず設けられている。これは公的、儀礼的な空間で、市役所や公共ホールなども、メイン空間はやはりプンドポの形式を取っている。プンドポは壁がなく、屋根と柱と床からなるオープンな建物で、建物中央の4本の柱(ソコ・グル)で囲まれた方形の空間が、普通は儀礼の中心的な空間となる。王宮のプンドポは大きく、壮麗な装飾が施されているが、貴族の屋敷のプンドポはそれぞれの身分に応じている。プンドポの奥には、必ずダレムと呼ばれる奥の間が付随し、神聖な雰囲気を。ダレムとプンドポは3枚の扉(この映像の屋敷では1枚の中央扉と2枚の窓扉)で仕切られ、通常その扉は閉じられているが、儀礼が行われる時には開かれる。

これらのシリーズを制作してみて、私の関心は、ジャワの通過儀礼の内容そのものよりも、その儀礼が行われるプンドポという空間、そしてそこに住まう人々にあったと、あらためて思う。私はいつもこのプンドポでジョコ女史にレッスンを受けていた。このプンドポは、この一族にとっては宮廷につながるというアイデンティティを象徴する場であると同時に、私にとってはジャワ伝統文化を象徴する場であり、そして何よりも、私が何年にもわたって舞踊修行をした場、私のルーツとも言える場でもある。

 
 

 

 
  ■「ジャワの結婚儀礼」シリーズについて  
  (1)シリーズ名について  
 

このシリーズ名は実は半分正しくない。というのは花嫁の化粧と着付が済むところで終わっているからで、伝統的ないわゆる「結婚式」の部分はこのシリーズが終わってから始まるのである。ちなみに2日目の段取りは、午前中に教会で式を挙げ、そして夜に結婚式場でジャワ式の結婚儀礼と披露宴を行う、ということになっている。シリーズ6「花嫁の化粧」の映像は、その夜の式と披露宴のために化粧している場面である。

では、なぜこの後のシーンがこのシリーズにないのか。その理由は簡単で、私が撮影しなかったからである。結婚式場での儀式についてはすでに内容を知っていて、特に映像記録を撮っておくほどでもないと考えていたこともあるが、結婚式場では儀式が見られるものとしてきちんと演出されているため、伝統的な暮らしのありようが、そこからはあまり見えてこないからでもあった。「作品の舞台」で述べたように、私の関心は、儀式そのものよりも、それらが行われるプンドポや、そこに住まう一族の伝統的な暮らしぶりの方にあったのである。結婚式場で行う各種儀礼も、本来ならば花嫁の自宅で行っていたことなのだが、ジャワでは日本と違って何百人という単位で招待状を出すため、現在では結婚式場を借りることが多くなっている。

 
  (2)「花嫁」、」花婿」の語について  
 
シリーズ6「花嫁の化粧」以外は結婚前の段階であるため、厳密には本稿も映像字幕も「花嫁候補」、「花婿候補」とすべきなのだが、表現が長くなることから、あえて「花嫁」「花婿」で統一している。
 
  (3)ミドダレニ(結婚式前夜)の儀式について  
 
ミドダレニmidodareniはジャワの結婚儀礼の1つで、widodari=bidadari(天女、精霊)を語源とする。その夜天女が降りてきて花嫁を祝福するという。ミドダレニでは結婚式前夜に花婿が花嫁の両親を訪問し、結婚が確実であることを示す。かつては寝ずにこの夜を過ごしたが、現在では夜中の0時頃まで人々が集まって過ごす。宮廷ではガムラン(特にグンディン・ボナンという種類の音楽)をしっとりと演奏するが、一般の場合はカラオケ大会のようににぎやかに歌って過ごしているようだ。 ここでは2人がキリスト教徒であるため、牧師が来て2人に祝福を与え、賛美歌を歌う。だが本来のキリスト教では、この映像のように結婚式前に花嫁花婿に対して行う儀式は全くないという指摘をいただいた。とすれば、ジャワでキリスト教を布教する際に、ミドダレニという伝統的な行事に合わせてこのような儀式をあらたに作ったのかも知れない。興味深い事例で、今後の課題としたい。

 
  (4)画像の状態、撮影状況について  
 
このシリーズの画像はあまり良くない。かなりヘッドが汚れており、この2ヶ月後にヘッドが壊れた。それだけでなく、映像の明るさの調節も上手くいっていない。これはプンドポの庇が深く、薄暗い屋内に外から強い太陽光線が差し込んでくるからである。映像はすべて手持ちカメラで撮影し、三脚を使用していない。全く赤の他人、あるいはこの一家に撮影を頼まれたカメラマンであれば三脚を使っていたと思うが、知っている人の私的な空間だということで、かえって三脚を持ち込むことがためらわれた。 しかもビデオを回しながら、時々はもう片方の手に持ったカメラで写真も撮っているので、画面がブレていることがよくある。

 
  ■参考文献  
 
  • KRT Dr. Kalinggo Honggopuro 2002 “Bathik sebagai busana dalam tatanan dan tuntunan”, Yayasan Peduli Karaton Surakarta Hadiningrat
  • Dra.H.I.Roeswoto (coordinator) 1997 “Pelajaran tat arias pengantin Solo putri”, Meutia Cipta Sarana
  • 石井和子 1984「ジャワ語の基礎」、大学書林
 
     
  ■「ジャワの千日供養」シリーズについて  
  (1)法要について  
 

ジャワでの年忌法要は、死後7日目、40日目、100日目、1年目、2年目、1000日目に行われる。その数え方は日本の初七日、四十九日、百ヶ日…と似ていて驚く。そして1000日目に墓石を建て、一応の一区切りとなる。 この映像の一族の場合、宮廷のイスラム導師が来て法要をする。tahlilan以下一連の詠歌は、宮廷イスラム独特のものだというが、私はこの一族以外にも宮廷関係者の法要にしか出たことがないので、宮廷外のイスラムではどのように法要をしているのか、実はまだ知らない。Tahlilanではアラビア語だが、Sahadat Kuresはジャワ語である。法要の場合、遺族は故人の写真や命日を印刷したイスラム教本を用意し、招待客に記念に渡すのだが、Sahadat Kuresの部分は普通プリントにして、別に配られる。この詠歌のうち、後半部では故人のデータ(氏名、法要の日、亡くなった日など)が歌いこまれている。その全テキストは以下の通りである。日本語訳を現在準備しているので、完成し次第アップしたい。

 
  (2)SAHADAT KURES全テキスト  
  ※Sahadatは信仰の告白の意、Kuresはアラブ人の別称

Bismillahhirrohmaanirrahlim, nawaitu angukira bikalimatin sahadataini, mucupan bilmukumuri, marotan wakidatan, fardlu lillahi ta'alla niyatingsun angucapaken ing kalimah sahadat loro, ale wajib ing dalem saumuringsun male, sapisan fardlu karana Allah.

Wa ashadu Allah halilahailahaiallah, wa asahaduanna Muhammadarrosulallah, lan ameruhi ingsun satuhune ora ana Pangeran nanging Allah, lan anekseni ingsun satuhune kanjeng Nabi Muhammad iku utusane Allah.

Mangka maknane laillalailallah iku amuknawi kelawan isbat, mangka kang den nawekaken iku sakehing Pangeran, kang liyan saking Pangeran kita, mangka kang den isabataken iku kang ngarsa kang satunggal, kang ora dinadekaken, handadekaken alam iku kabeh, yaiku Pangeran kita, kang agung kang maha mulya, hiya iku ingkang aran Allah.

Mangka tegese aran Allah ta'ala iku hanuduhaken ing dalem dzat kang maha luhur, ora warna ora rupa, pra arah ora anggon, wajib-wajib anane, mokal yen orane, sing sapa ngucap satuhune Allah ta'alla iku warna-rupa-arah-anggon, mangka wong iku dadi kufur.

Utawi kanjeng nabi Muhammad iku manungsa kang lanan , kang merdika, ingkang akhil ingkang baliq, iangkang bagus waunane, kang mencorong cahyane, kadya purnamaning ulan utawa kaya srengenge, ingkang katurunan wahyu, iangkang wajib handuweni sifat sidiq-amanat-tableq, sidiq bener, amanat kang percaya, tableq anekakaken, molal liya, mokal cidra, mokal angumpetaken.

Ingkang wenang besariyah, kang ora cinacataken, ing dalem nartabate, bangsa Arab, bangsa Hasyim, bangsa Kures, bangsa Muntholib, kang rama Sayid Abdullah, kang ibu ***** (故人の名), kang pinuturaken ing Mekah, ing wulan Rabi'ulawal, ing tanggal kaping rolas, ing malem Isenen, ing tahun a-Dal, wektu saur, siji kaol antarane mahrib kalawan isya'.

Ing tanggal kaling wolu, utawi yuswane kanjeng nabi Muhammad iku saweg kawan dasa tahun, ngalih maring Madinah, yuswa tigalikur tahun, utawi yuswane kanjeng nabi Muhammad iku suwidak tigang tahun, seda ana Medinah, sinarekaken hastanane Medinah.

Sapa ngucap Muhammad Rosulallah iku anyimpen angestokaken, barang kang den tekakaken dening Rosulallah Salallahu Allaihi Wassalam, Salallahu Allaihi Wassalam, Muhammad, wa a'la allihi, wa a'la allihi, wa sobhihi aj'main.


 
  (3)撮影状況について  
 
結婚式と違って、このときは三脚を利用した。全員がお祈りをしている中で、カメラを手持ちすると、かえって目だってしまい失礼になると考えた。日本風に言えばダレムの下手にカメラを置いて撮影している。私はカメラの横の椅子に座って(いつもこの位置に椅子が置いてある)、時々ズームにしたりしながら、撮影した。
 
     
     
     
 
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