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月度報告書(2013年1月度)前田充洋

前田充洋


2013年1月1日、海外で初めて新年を迎えた。日本ほど「あからさま」に雰囲気が変わるというものではなかったが、昼過ぎまで爆竹の音が聞こえていた。買物にでると、あちこちで「Frohes neues Jahr!」と声をかけられた。

今月からは本格的に研究活動に着手することができ、支給していただいたデスクと図書館を往復する日々が始まった。といっても大学図書館も同じ建物の中にある。2階部分が全て各学部図書館に充てられているのである。


大学図書館の入口。開架時間は平日の16時まで。


大学図書館内部。各学部図書館の入口は別々であるが、中ですべて繋がっている。

そしてEpple教授のゼミナール„Mikro-Globalgeschichte“(月曜日)と、コロキウム„Geschichte des 19. und 20. Jahrhunderts“(金曜日)にも定期的に参加した。これらに参加するためには登録が必要でeKVVという大学のページからオンラインで行う。すると、開催数日前に事前に読むべき資料が毎回メールで送られてくる。それを踏まえた上でゼミナール、コロキウムに参加する。ゼミの報告テーマは「19世紀パリにおけるドイツ人の外交」や「DDR期ドレスデンにおける博物館の形態の変化」など、細緻な事例から二国間関係や東ドイツ社会など「全体像」をみるといった、ゼミのテーマに沿ったものであった。私にも毎回発言の機会があるが、「この語はどういう意味で用いているのか」、「『全体像』への射程があまり見えない」など、議論の前提となるものに対する質問を主に投げかけた。

1月31日にTel Aviv大学のモッシェ・ツッカーマンMoshe Zuckermann教授を招聘し最終コロキウム„Die deutsch-israelischen Beziehungen: Historische, geographische und ideologische Aspekte“ が開催された。それをもって2012/13冬期ゼメスターは終了した。

ゼメスターとは別に、Epple教授と研究について相談する機会を得ることができた。そこで主に先行研究分析の現状を話した。「帝政期におけるクルップ社の対外活動、特に日本に向けた商業活動、または日本国内での活動を明らかにしたい」、「これについては数あるクルップ研究の中でもまだ具体的になされていない」、「まだ分析されておらず、目星をつけている史料がある」などである。それに対して、Epple教授からは、「あなたのしたいことはわかった。史料があれば非常に興味深い研究になる」と言っていただいた。かたや「あなたの主要な疑問点・関心Hauptfrageが見えてこない」と指摘をいただいた。うまく言葉で伝えきれず、「それいついては次回の相談で再度構成し直します」と述べ、再度相談の機会を頂くことになった。


前後するが、1月26日にはビーレフェルト独日協会Deutsch-Japanische Gesellschaft Bielefeld e.V.の新年会に招待していただいた。3年ほど前からビーレフェルト大学に留学している言語学専攻の日本人学生と、2012年9月にアメリカの大学からビーレフェルトに異動した物理学専攻の日本人学生、ドイツ人の学生数人とともに会場に向かった。ヤーンプラッツ(ビーレフェルトの繁華街)に集合し、バスで20分ほど移動した。

バスを待っている間、ドイツ人に「歴史を勉強しに来ている人ですか?」と日本語で尋ねられた。全く予想していなかったので少々驚いた。聞くところによると、専攻は日本語学ではないが趣味で日本語を勉強しているらしい。日本語の練習のため、できれば日本語で話したいと言われたので日本語で会話したのだが、こちらが早く話してしまうと「わからない」という顔をされる。助詞の用い方や、なるべく省略を用いないようにするなど注意を払って会話した。普段アシストをしてくれている学生や、教授の秘書の方がいかにわかりやすく、かつある程度テンポを落として丁寧に話してくれているのかということが、逆の立場になって自覚された。


ビーレフェルト独日協会新年会。洋風のホテルの中に様々な日本のものが飾られている。

会場に着くとさすがに日本人が多くいた。開式の挨拶がビーレフェルト市長Bürgermeisterからなされ、続いて協会の会長からも挨拶がなされた。ビーレフェルト独日協会は今年で発足25年だという(1989年発足)。挨拶はドイツ語で行われ、その後日本語でも内容の説明がなされた。

開式のセレモニーが終了した後は、会食が催された。ドイツ語の会話の練習を少しでも多くしようと思っていたために、ドイツ滞在中は日本語をできる限り話すまいと私は思っていたのだが、この時ばかりは日本語での会話が多くなった。特に、上で紹介した物理学専攻の学生は日本の高校を卒業してすぐにアメリカの大学にわたり、そこからビーレフェルト大学に在外研究に来ているというので、日本、ドイツそしてアメリカの三国間の生活の違いに始まり、大学カリキュラムの違いなど様々な話をすることができた。

近代におけるドイツと日本の「交流」に研究の主眼を置こうとしている私にとって、現在の協会の現状や活動だけではなく、どのような経緯や活動があって、二国間の交流を促進するこのような協会が設立されたのか非常に興味をそそられた一日であった。


2013/04/19 14:18