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月度報告書(2013年2月度)前田充洋

前田充洋


2013年2月も、1月に引き続き、自身の研究を進めることに重点を置いた。

2月7日の木曜日に、1月末に引き続き再度、エップル教授と自身の研究について相談する機会を得た。前回の相談では「主要な疑問点、問題関心が見えてこない」との指摘を受けていた。そのため今回の相談では、自身の主要な問題関心を示すことに重点をおいたそれにあたって、ビーレフェルトに来てから収集している文献の目録も添付した。19-20世紀のクルップ社をめぐっては、企業内の労使関係、鉄鋼技術の発展、軍隊との関係など、多様な視点から研究がなされている。しかし、対外活動(特に、輸出や他国内での企業活動)については、通史的な概説にとどまるか、あるいはドイツ国内における軍産関係を考える上での比較対象としてしか扱われていないことを指摘した。そのうえでクルップ社の対外活動を詳細に検討するにあたって、対外活動相手国として日本を取り上げたいことも、改めて述べた。

日本とドイツは、国家間の関係においては、日清戦争(1894-95)以降、急激にその関係が「悪化」していくと理解されている。しかしクルップ社の決算報告書を見ると、1895年以降においても通商関係が継続されていることが見受けられる。さらに、『1903-1906年における、日本への鉄の供給についてStahllieferungen für Japan. 1903-1906』といった史料も存在する(2011年度調査時に確認、一部書写)。それらに鑑み、政府間の関係だけでなく、製品の流通や企業の交渉の過程を踏まえた上で、この時期の関係を見るべきであると考えている。そしてそれでもって改めてヴィルヘルム期ドイツを再評価したい、ということを伝えた。

エップル教授も、方向性については興味を持ってくださり、その上で今後の文書館での活動の指針とすべき指摘をいただいた。具体的には、「何を基準に、クルップ社の対外活動を分析しようとしているのか。例えば、購買者なのか、技術者なのか。」との質問を頂いた。それに対し、「さしあたっては、購買者Kaufleuteを研究調査の中心に据えたい。日本における技術の導入というよりは、日独両者の製品販売の交渉過程を重視したいからである。ただ、日本はプロイセンの製鉄の技術を主として導入しているので、むろん技術者にも触れるべきではあると考えている。」と応えた。

翌日の2月8日、日本から海老根先生がビーレフェルトに来られた。今月末に日本で開催される国際シンポジウムの打ち合わせに来られたのである(2月23日開催於大阪市立大学)。打ち合わせの後、エップル教授と彼女の共同研究者フェリックス・ブラームFelix Brahm氏とともに大学内を案内し、ビーレフェルトを一時間ほど散策した。散策では、旧市街を中心として、発掘場所や、中世以降から残っている建造物等を見て回った。各所でエップル、フェリックス両氏から的確な説明(聞き取れる範囲であるが)もしていただいた。特に記念碑や建物を見る際には、建立の背景は非常に重要であろう。個人的にビーレフェルトに来てすぐに一通り散策はしたのだが、やはり詳細な説明があると、同じ散策でも充実度は大きく異なった。


2月8日のBielefeld散策の様子。エップレ先生、フェリックス氏、海老根先生とともにビーレフェルト旧市街を歩く。

その後、会食を行った。会食にはヨアヒム・ラトカウJoachim Radkau氏も来られた。ラトカウ氏とは、彼が2012年度の1月に講演のために来日された際に空港まで出迎えに行った以来、ほぼ一年ぶりであった。会食の中では、23日開催のシンポジウムの内容や、日本のことについて話されていたのだが、断片的に単語を拾うことしかできず、会話のスピードになかなかついていくことができない。そしてラトカウ氏とは、前日のエップル教授との相談内容を踏まえつつ、研究テーマについても少し話すことができた。ラトカウ氏から、研究テーマについて細かな指摘や質問などは受けることができなかったが、「経済史のゼミナールも受けた方がよい」との指摘をいただいた。企業の活動を文化史的に捉えることに重点を置きたいのだが、企業史を行う上で経済関係はやはり外せないということなのであろう。研究について予期せぬ「相談」の機会を得ることができた月であった。
2013/04/19 15:03