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頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム~EU枠内外におけるトランスローカルな都市ネットワークに基づく合同生活圏の再構築

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月度報告書(2013年9〜10月度)前田充洋

前田充洋


9月2日から6日までイタリアに渡航した。本プログラムで大阪市立大学とボローニャ大学が共催するシンポジウム“The Translocal Urban Networking in EU Cities in Past and Present“に参加するためである。2日の昼すぎにビーレフェルトの自宅を出発して中央駅からICEに乗車、フランクフルト国際空港にむかった。ケルン中央駅での乗り換えを経ておよそ3時間後空港に到着した。

到着するとまず目に入ったのがデモであった。ドイツに限らずヨーロッパではデモが多く見られる。ビーレフェルトでも資本主義にたいするデモを何度か見かけた。フランクフルト空港で遭遇したのは、「我々は海から生まれたのだから、空の便など不要である」ということをテーマに掲げたデモであった。

 
空港内のデモの様子

デモを横目に搭乗手続をすませ、21時50分のフライトに間に合うよう搭乗口に向かう。EU圏内移動のためパスポートコントロールもなく国内線とほぼ同様の手続きで搭乗可能である。ヨーロッパで国境をまたぐのは初めての経験で少々緊張したがトラブルもなく手続きを済ませ搭乗することができた。

23時半ごろイタリアのボローニャ国際空港に到着した。荷物を回収し空港ラウンジで先に到着なさっていた大阪市立大学の先生方と落ち合った。空港からはタクシーで宿舎にむかう。道中タクシーの車窓から景色を眺めていたがビーレフェルトとはずいぶん景色が異なった。ビーレフェルトが近代以降とくに発展した都市ということもあろうが中世都市的な景色に、明日のエクスカーションに期待をよせることになった。

翌朝宿舎のロビーに集合して近くのカフェに向かいパンとエスプレッソで朝食をすませた。朝食を終えるとまずボローニャ大学にむかった。ボローニャ大学歴史学科は宿舎のすぐ裏手にあり徒歩5分ほどで到着した。ビーレフェルト大学とはずいぶん雰囲気が異なった。ビーレフェルト大学のように合理的なつくりではないが、建物の荘厳さはボローニャ大学のほうが圧倒的に上であった。そこでボローニャ大学の受入先である、マリア・ジュゼッピーナ・ムッザレッリ教授に挨拶し大学内をしばらく案内していただいた。ムッザレッリ教授によると歴史学科の建物はもともと修道院であり、刑務所を経て大学棟になったという。




ボローニャ大学歴史学科棟内

挨拶を済ませると市街にエクスカーションにでた。エクスカーションでは大黒教授の案内のもと、ローマ帝国時代の市街をはじめとして諸所の教会やゲットー地区、都市市壁跡そして産業遺産博物館など様々な場所を巡った。中でも個人的に興味深かったのは、文書館Archivio di Statoで史料の修復作業と保存作業の現場を見せていただくことができたことである。そこでは中世の修道院に入るさいに書かなくてはならない契約文書の修復作業を見せていただくことができた。


史料修復、保存作業の部屋を見学させていただけた



エクスカーションの様子

そして2日間のエクスカーションの両日とも夕食にイタリア料理に舌鼓をうつことができた。初日はムッザレッリ教授を迎えてのレセプションであり、二日目は市大からの訪問者のみであった。本場で食するパスタ、ピザとも大変美味であったが、「具材はイタリアのほうがイタリアの方が美味しいが、小麦の生地はドイツのほうが美味しい」と感じた。大黒教授にも伝えてみたところ「私もそう思う」と同意していただけた。


エクスカーション後の夕食の様子

9月5日はシンポジウム当日であった。午後に大学にむかい、先生方は通訳の方と打ち合わせをおこなっておられた。シンポジウムのプログラムは以下のとおりである。

  • Maria Giuseppina Muzzarelli (University of Bologna): One More Institution, One Less Collaboration
  • Yoko Kimura (Osaka City University): “Routine” Preaching in Late Medieval Italy: A Franciscan Preacher’s Diary (1484–1507)
  • Pietro Delcorno (Radboud University Nijmegen): Promoting a New Civic Instituti-on: The Life of San Bernardino da Siena and the Hospital of Lodi
  • Shigeaki Oba (Osaka City University): Local- and Translocal Networking of Tur-kish Immigrants in Duisburg, Germany


シンポジウムでの議論の様子

各報告の詳細については、報告者の一人である木村容子氏が今月度の報告書で適切な要約をおこなっておられるためここで詳細に紹介することは避けたい。シンポジウム全体のテーマにかかる議論については、「二者」の関係にかんする研究は偶発的なテーマなのか、それともイタリア中世史研究およびドイツ地理学研究をめぐる現在の研究動向の一つなのかという質問がなされた。それにかんして中世イタリア、現代ドイツという時代と地域を超えても――中世イタリアでは聖人の説教を介して、現代ドイツでは政治を介してという差異はあれど――「共通の善行」を地域で目指すという点で同じであり、市民単位での「共存」「共生」が試みられているという点から回答がなされ、トランスローカル・ネットワークという観点から都市や地域を分析することの重要性が確認された。シンポジウム終了後はムッザレッリ教授宅に招いていただき、そこでレセプションがおこなわれた。


ムッザレッリ邸でのレセプションの様子。出していただいた料理は全てムッザレッリ教授の手作りであった

翌朝海老根准教授とともに空港に一足先に向かいボローニャを後にした。往路のときは夜間であったため景色は見えなかったが復路はアルプス山脈を綺麗に下に見ることができ退屈せずにドイツに戻ることができた。フランクフルト空港まではベルリンへの乗り継ぎ便を利用したためこの空港で降りたのは私一人だけで海老根准教授を含む残りの乗客は皆ベルリンへ向かった。それに気づいたのは預けた手荷物が返却されるさいに流れてきたのが私のリュック一つだけだった時である。リュックを取りDBの駅に向かう。イタリアから戻るときに空港で「きっとドイツはもう気温が下がっているだろう」と思い長袖を準備しておいたのだがドイツもまだ気温が下がっておらず、ビーレフェルトに着くころにはうっすらと汗をかいていた。

今月度は滞在の最終月であったため、ビーレフェルトに戻った翌日から帰国準備を始めた。9ヶ月間で持ち帰りたい荷物も増え、月初めから定期的に多量の郵便物を日本に送らなくてはならなかった。文献コピーや先に送る衣服、土産などをまとめると郵便局で購入できる最大の段ボール箱で5つの量になった。日本に一度に郵送できる重さは31.5キロが限度である。各箱は全て20キロ前後になってしまっていたため大学の研究室に行く道すがら郵便局に立ち寄り5日間かけて日本の自宅宛に荷物を郵送した。

エップル教授をはじめ秘書の方や大学の留学センターにも今月末にビーレフェルトを発つことを伝えた。エップル教授に帰国にかんする詳細な日程を伝えたところ、「9月27日の金曜日にもう一度研究相談をおこなってその後お別れ会をしましょう」ということになった。相談内容は最後まで研究の理論的枠組みと問題設定に焦点を当てることになった。時間の都合で答えられなかった質問については、後日メールで回答するようにとの「宿題」も受け取り、会食に向かった。お別れ会にはエップル教授、フェリックス氏をはじめ向かいの研究室で研究している友人まで多くの方が参加してくださり、研究から生活にいたるまでさまざまな話題に華をさかせることができた。

9月30日、ビーレフェルト滞在の最後の日である。帰国便は10月2日なので、この日はフランクフルトのホテルに到着できればよかった。当日の朝大学に研究室の鍵を返却しに向かった。エップル教授は所用で席を外しておられたために残念ながら見かけることができなかったが学部長秘書の方に鍵を返却してお礼を述べ、ビーレフェルトを後にした。

フランクフルトに到着すると予約していたホテルにチェックインし2日後の10月2日、関西国際空港行の便に搭乗した。搭乗口にはさすがに日本人の姿が多く見られフランクフルトにいながらにして早くも日本(人)の空気を感じることになってしまった。12時55分、搭乗受付が開始され帰国便に乗り込む。日本まで10時間強である。機内では2012年12月からの10ヶ月間における研究、調査内容を踏まえて論文の目次を仮段階ではあるが作成した。博士論文指導者である北村教授への「お土産」である。いざまとめるとなるとなかなか目次の型にはまらず、夜中まで手書きのレジュメを書いていた。

10月3日7時40分、遅れることなく関西国際空港に到着した。10月初頭というのに日本はまだ夏のようであった。

ここでお世話になった方一人ひとりにお礼を述べたい。しかしそれにはきっとまだここから何頁もの紙幅が必要であろう。そのためとりわけとくに大恩ある二名の方にお礼申上げたい。一人は言うまでもなくビーレフェルト大学アンゲリカ・エップル教授である。エップル教授は私の拙いドイツ語を何度も聞いて理解しようとしてくださり研究上非常に有益なアドバイスや指摘を数多くしてくださった。さらに研究にかんすることにとどまらず、ドイツでの生活にかかる事柄についても多くのアドバイスをしてくださった。上で述べたようにエップル教授からは「宿題」をいただいているため、帰国次第メールで対応する予定であり今後も交流を保ち続けていくつもりである。

もう一人は2012年12月当時エップル教授の助手をしていた、ヴェレーナ・リンペルVerena Limper氏である。ビーレフェルトに到着したばかりで勝手のわからない私にたいして、彼女は大学図書館の利用方法からスーパーマーケットの場所など、細部にいたるまで親切に面倒を見てくださった。彼女は現在マギスターでありながらケルン大学で新たに助手職を得て自身の研究、職務ともに奮闘しておられる。彼女の今後の更なる活躍を願ってやまない。

ヴェレーナ・リンペル氏と彼女のFreundフロリアン氏とともに

私の報告はこれで最後になる。これらの報告書が、今後頭脳循環プロジェクトをつうじてビーレフェルト大学に派遣される学生の助けに少しでもなれば幸いであると思う。
2013/10/25 17:00