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月度報告書(2013年11月度)木村容子

木村容子


今月は、これまで同様に中世説教に関する史料調査を進めるとともに、拙稿「15世紀末イタリアにおける‹日常›の説教―無名フランチェスコ会説教師の日誌(Predicazione ‘di routine’ di fine Quattrocento. Il diario di un anonimo predicatore francescano. Biblioteca comunale di Foligno, Ms. C. 85)」の校正作業をおこなった。原稿は1908年創刊のフランチェスコ会の専門誌、Archivum Franciscanum Historicum誌の次号に掲載予定である。拙稿の目的は、ある無名フランチェスコ会説教師の日誌(イタリア中部フォリーニョ市立図書館所蔵の未公刊の写本Ms. C. 85)を分析し、当時の「普通」の説教を再構成することである。以下では、史料の特徴と本稿の論点について述べる。

このフォリーニョ市立図書館所蔵の日誌は、中世末のイタリア中北部で遍歴説教をおこなった、あるフランチェスコ会説教師が四半世紀にわたって残した説教の記録である。日誌説教師は自身の備忘録として、説教の主題や構成をメモし、しばしば説教の出来(「良い説教だった」、「あまり上手くいかなかった」)や聞き手の反応(感涙、叫声)も書き留めた。したがって彼の記述から当時のリアルな説教の場を垣間見ることができる。こうした説教師自身による遍歴説教の長年にわたる記録が残されているのは稀有な事例である。

残念ながら、日誌には作者である説教師の名前は記されていない。日誌の内容を考えると、諸都市からの要望を受けて一年を通して都市から都市へと移動して遍歴説教をおこなったカリスマ説教師ではなく、決められた時期に規則的に説教をおこなう「一般的」な説教師の一人であったといえる。このことは日誌の史料的価値を下げるものではなく、むしろ現代の我々にとっては重要な意味をもっている。というのは、通常史料が残されているのは著名な説教師の事例であり、「普通」の説教師については実は我々は多くを知らないからである。

たとえば、15世紀イタリアを代表する名説教師ベルナルディーノ・ダ・シエナBernardino da Sienaの説教は、都市民にとって「非日常」で特別なパフォーマンスであった。ベルナルディーノが広場に集まった都市民を熱狂的な状態へと導く様子を描いた都市年代記や聖人伝は、彼の説教が同時代の人々にどのように受容されたのか、あるいは受容されることを史料の書き手が望んだのかを教えてくれる。またベルナルディーノ自身が他の説教師に向けて範例として著した説教集や、聞き手が説教師の語りを書き留めた記録も、彼の説教の形式・内容を今に伝えている。しかし、同時代におこなわれた膨大な量の「普通」の説教師の活動は取り立てて記録されることはなかった。そうした「日常」的な説教を再現する手がかりを与えてくれるのがフォリーニョ説教日誌である。

上記の拙稿では、同時代に活躍した著名説教師の事例と比較しながら日誌説教師の特徴をまず概観し、後者が数多くの「一般的」な説教師の一人であった点を示した。次に、「エクセンプラexempla(教訓説話)」の使用法に焦点をあてて、日誌説教師による説教の準備段階を考察した。エクセンプラとは、説教師たちが俗人男女に説教内容をわかりやすく提示するため、あるいは彼らの注意を喚起するために、説教に差し挟んだ、聖書や古典、フォークロアなどから素材を得た小話・逸話のことである。日誌には、特定の説教主題と結びつきが強く、繰り返し用いられるエクセンプラもあれば、遍歴説教の経験のなかで仲間の説教師から仕入れた新たなエクセンプラも登場する。拙稿では日誌説教師によるエクセンプラの選択を切り口にして彼の説教準備の現場に迫った。


写真1 ボローニャの街並み、色づき始めた銀杏


写真2 ボローニャの街並み、クリスマスに向けたイルミネーション
2014/01/15 15:00