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月度報告書(2014年3月度)中谷良

中谷良

今年のボローニャの3月は例年より暖かいようである。多くのボローニャの市民はすでに上着を着用しておらず、またチェントロではすでに上旬ごろに桜の花が咲くほどであった。3月下旬には大学を卒業できた学生が街のあちこちで友人や家族に祝ってもらっている風景を頻繁に目撃した。

今月も先月と同様にボローニャの市中にある様々な図書館で史料・文献調査を中心に進めた。並行して古文書学の授業への出席とピオ先生への研究室訪問を随時行った。

 
写真1. ボローニャ大学に隣接するヴェルディ広場で祝福される学生たち。


写真2.

3月29日には文献調査のためにプーリア州に向かった。ボローニャから約4時間30分でフォッジャに到着、そこから地方線Ferrovie del Garganoに乗り換えてルチェーラ駅にたどり着いた。ルチェーラは、タヴォリエレ(Tavoliere)と呼ばれる平原地帯の中心の小高い丘の上に位置している。そのためルチェーラ駅から街の中心部までは長く続く坂道を登らなければならなかった。

翌日の日曜日は図書館が閉室していたため、ルチェーラの市立博物館 (Museo civico)、さらに城塞(Fortezza)や円形闘技場などの史跡を訪問した。城塞では係員の方に簡単な説明をうけた。城塞内部には修復された塔と宮殿(palazzo)の一階部分だけが残っている。1270年代にシャルル・ダンジューによってプロヴァンス人がこの城塞内部に入植されたはずであるが、現在では建物のわずかな痕跡しかとどめていない。宮殿も一階部分しか原形をとどめておらず、内部への進入は危険のため立ち入り禁止であった。

城壁に上るとプーリアの平原地帯が一望できる。その日は快晴だったので、西にはアペニン山脈が、東にはガルガーノ、さらに目を凝らせばアドリア海がかすかに見えた。その他の城塞内の遺物は市立博物館に保管されており、この目でじっくりと観察することができた。

 
写真3. 城塞内部

こうした歴史的建築物のほかに重要であるのは、ルチェーラの聖母マリア大聖堂 (Basilica cattedrale di Santa Maria Assunta) である。この大聖堂は、13世紀の間ムスリム共同体が保持していたモスク跡にナポリ国王カルロ2世によって建造されたものである。私がここを訪問したときには、シスターのルチアさんに親切にもこの大聖堂を案内していただいた。大聖堂の詳細な説明はここでは控えるが、現地でしかわからない情報を多く知ることができ充実した時間を過ごすことができた。また大聖堂の向かいには司教区博物館(Museo dicesano)も併設されており、ここでもルチアさんと係員の方の丁寧な説明を受け貴重な資料を拝見させていただいた。


写真4. ルチェーラの聖母マリア大聖堂の外観。


写真5. 大聖堂内部にある聖母マリア像。像の前に祈りを捧げにくる人が後をたたなかった。
ルチェーラの現在まで続く聖母マリア信仰の強さを垣間みることができる。


写真6. 13世紀に無名のムスリムによって作られたとされる聖体器。司教区博物館に保管されている。


写真7. アラビア語で書かれた13世紀の遺物。トロイア門の両脇に展示されている。

こうした史跡・博物館訪問と同時に、月曜日以降はフォッジャの州立図書館やルチェーラの市立図書館を中心に史料および文献収集を行った。しかし、そうした文献調査で得られたものより、このルチェーラという都市のあり方を実感できたことのほうが成果は大きかったように思える。8月14日から16日のフェラゴスト(Ferragosto)の祝祭日には、守護聖人の聖母マリア像が担がれ都市内を練り歩くプロセッションが行われる。この聖母マリア信仰の起原が1300年のムスリム共同体の破壊に伴うルチェーラの再キリスト教化にあることからもこの祝祭にはぜひ参加したいと考えている。
2014/04/21 17:00