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月度報告書(2014年5月度)犬童芙紗

犬童芙紗


5月に入ると、ビーレフェルト大学の歴史学科が入居している研究棟の至る所で、教職員や学生が研究室の備品のパッキング作業や移動で忙しそうに動き回る姿を頻繁に目にするようになった。ビーレフェルト大学のメインビルディングは、今年の秋から2025年にかけて、東側から順次立て替えられていく。メインビルディングの最も東側に位置する歴史・哲学・神学部が入居する研究棟は、真っ先に立て替え工事が始まる。そのため、歴史学科は、立て替え工事に備えて新たに建設されたX棟(Gebäude X, 先月の派遣報告書で “Ersatzgebäude”として言及した建物の名称)に移動する。そして5月中旬、X棟への引っ越しが始まった。


写真1:新築のX棟


写真2:X棟内部の様子。
ビーレフェルト大学のシンボルカラーの緑色がアクセントになっている。目の保養にも良い。


写真3:X棟の図書館


写真4:メインビルディングの図書館に配架されていた60万冊以上の専門図書もX棟に移動した。


写真5:メンザ(学生食堂)は未完成。7月にオープンする予定。


写真6:建物内にはまだ工事中の箇所もある。


写真7:筆者には客員研究員用の研究室が割り当てられ、当研究室の記念すべき入居者第1号となった。
新品の机と椅子で研究に励むことができる。
 
Epple教授の講座では、2週間に1度、Arbeitsbereichtreffeが開かれる。Arbeitsbereichtreffeとは、Epple教授の講座に属する研究員やドクトラント(Doktorand/in, 博士課程の学生)が集まって、各自の現在の研究状況や今後の予定を報告したり、相談したりするための集まりである。それは、12時半(ある出席者の空腹に耐えられないとの訴えにより、次回から12時に繰り上げられることとなった)から30分間ほど行われ、終了後はメンザに移って会食する。筆者は現在、Epple教授から勧められたマクロ史とミクロ史、グローバル化と地域性、グローバル史とジェンダー史との関係を論じた論文や文献をもとに、ハンブルクの合唱協会の研究を広げるための枠組みや理論を追究している。マクロ史かミクロ史か、グローバル史か地域史か、ではなく、それらは互いに補完し合う関係にあり、互いの関係性によって成り立つものである。全体的な理論や枠組みに実態性をもたらすためには詳細で具体性をもった実証研究が必要であり、実証研究に意義を与えるためには全体的な理論や枠組みが必要である。

今月は2つの研究関連の催しに出席した。まず、筆者の地域史への関心と関連して、5月3日(土)に市立公文書館(Stadtarchiv)で、ビーレフェルトの歴史協会(Historischer Verein für die Grafschaft Ravensberg, かつてのビーレフェルトの領主Ravensberg伯に因んだ名称である)とビーレフェルト大学歴史・哲学・神学部の共催で開かれたシンポジウム„Tagung zum Buchprojekt: Bielefeld und die Welt − Prägungen und Impulse“に出席した。このシンポジウムは、ビーレフェルト市が今年800周年を迎えるのに合わせて編集された書籍Büschenfeld, Jürgen / Sunderbrink, Bärbel (Hg.), Bielefeld und die Welt − Prägungen und Impulse. Bielefeld: Verlag für Regionalgeschichte, 2014の出版に合わせて開催された。シンポジウムの冒頭には、現在、学部長を務めていらっしゃるEpple教授が学部を代表して挨拶を行った。この書籍のページ数は656ページにも及び、Epple教授やWissenschaftlicher MitarbeiterのFelix Brahm氏を含め、30人以上の研究者が寄稿している。シンポジウムでは、その中から8名の寄稿者による発表が行われた。論文のテーマは政治・経済・社会・文化と幅広いが、ビーレフェルトと世界、大半が地域史と世界史との関連性を志向しており、現在のビーレフェルト大学の歴史研究の方向性が反映されていると感じた。


写真8:ビーレフェルト市立公文書館(Stadtarchiv Bielefeld)。
市立図書館(Stadtbibliothek)と同居している。

5月24日(土)〜26日(月)には、アメリカ合衆国インディアナ州を本拠地とするノートルダム大学(University of Notre Dame)歴史学部、ビーレフェルト大学歴史学部、ビーレフェルト大学の社会学部と歴史・哲学・神学部がドクトラントの国際的な研究を促進するために共同で設置した大学院Bielefeld Graduate School in History and Sociology(略称BGHS)、ビーレフェルト大学の学際的なアメリカ研究プロジェクトBMBF (Bundesministerium für Bildung und Forschung) Research Project Entangled Americasの共催で、ビーレフェルト大学で3日間に渡って開催された、両大学のドクトラントの国際共同ワークショップInternational PhD Student Workshop Exchange Notre Dame/Bielefeldに出席した。

ワークショップの1日目(24日)と3日目(26日)は、大学のキャンパスで両大学のドクトラントによる研究発表と議論が行われ、2日目(25日)は、貸し切りバスに乗って、ビーレフェルト東方のレムゴー(Lemgo)、ヴェンドゥリンクハウゼン(Wendlinghausen)、ハーメルン(Hameln)へ日帰り研修旅行(Exkursion)に出かけた。この研修旅行のメインテーマはヴェーザールネサンス(Weserrenaissance)。ヴェーザールネサンスとは、16世紀初頭から17世紀前半にかけてヴェーザー川流域で栄えた装飾的な切り妻屋根や格子縞の角石で装飾されたファサード(建物の道路に面した正面)に特徴がある貴族の城館(Schloss)や市民の邸宅の建築様式である。研修旅行は、中世史を専門とするUlrich Meier教授とHeinrich Rüthing教授による興味深く、エネルギッシュで、情熱的な案内のもとで進められ、中身の濃い、充実した1日となった。


写真9:レムゴーの市庁舎


写真10:ヴェンドゥリンクハウゼン城


写真11:ハーメルンの“Rattenfängerhaus”(ねずみ取りの家)。
ハーメルンと言えば、『ハーメルンの笛吹き男』伝説。
ドイツ語のタイトルは“Rattenfänger von Hameln”(直訳すると「ハーメルンのねずみ取り」)。


写真12: “Rattenfängerhaus”は、もともとは1602年に、ある市参事会員のために建てられた邸宅であるが、現在はレストランとして使用されている。


写真13:ねずみ取り(笛吹き男)の住居でなかったにも関わらず、“Rattenfängerhaus”という名称が付いたのは、かつてその家のBungelosenstraßeに面した側壁に掲げられていた「1284年6月26日に子供たちが笛吹き男に連れて行かれた」ことが記された木製の碑文に由来する。
“bungelos”とは「太鼓が鳴らない」という意味である。Bungelosenstraßeでは、現在でも、歌や楽器の演奏が禁止されているという。


写真14:今回の研修旅行のハイライト、ヘーメルシェンブルク(Hämelschenburg)城(ハーメルン近郊)

日帰り研修旅行を挟んで1日目と3日目に行われたワークショップでは、両大学のドクトラントたちが活発に意見を交わし合っている様子が印象的であった。ワークショップの使用言語は英語。ドイツ人および英語を母国語としない院生の英語での発言力に驚かされた。しかし、彼らにとっても、英語で意見を述べることは決して楽ではないことは見て取れた。それでも、英語を通じて、学問のバックグラウンドが異なる他国の院生との議論や交流を楽しんでいた。このワークショップを通じて、若手研究者が国境を越えて対面し、国際共同ワークショップという場で学術交流を行うことの意義を実感した。
2014/06/27 15:00