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頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム~EU枠内外におけるトランスローカルな都市ネットワークに基づく合同生活圏の再構築

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月度報告書(2014年5月度)中谷良

中谷良


5月になるといよいよ夏の到来を予感させるほど、暖かい日が続いた。日差しも強くなり、休日にはボローニャの中心街の南にあるマルゲリータ公園で日光浴を行う市民がしばしば見受けられた。大学生に関しては6月に試験を控えている人が多いらしく、試験対策のために一日中キャンパスや図書館で勉強する人が目立ってきた。

また5月には労働組合のデモが街の中心部で行われたり、選挙活動が行われたりと騒がしい日が続いた。24日にはボローニャ近郊のサン・ルカ教会の聖母マリアのプロセッションが行われ町中が活気にあふれたらしい。しかし残念ながらナポリへの出発日と重なってしまい私は参加することはできなかった。


写真1. インディペンデンツァ(Indipendenza)通りで展開される労働組合のデモ 

5月の下旬には史料調査のためにナポリに赴いた。ナポリという都市の印象をイタリア人に聞くと大概二つの答えが返ってくる。一つは美しい都市という回答、そしてもう一つは危険な都市という正反対の答えである。実際私がナポリの中央駅に到着し外に一歩出ると、ナポリの相反する二つの側面がただちに理解できた。けたたましいクラクションが鳴り響く交通事情、市中に散乱するゴミ、路上での突然の口論や取っ組み合い、そして旅中者にとって一番気をつけるべき窃盗の危険。一週間の間ここに滞在したわけだが、私自身すでに窃盗の危機に遭いひどい憤りを感じた。


写真2. ナポリのゴミ問題

一方で自然的景勝地としてのナポリは息をのむほどの美しさをもっている。王宮(Palazzo Reale di Napoli)や卵城 (Castel dell’Ovo) からは、有名なヴェスヴィオ火山と美しく弧を描く都市全体が一望できた。

また市中にちらばる歴史的建築物の多くからは、ナポリの街に息づく歴史性を感じることができる。5つの重厚な塔をもつ新城(Castelnuovo)は、1279年にシチリア王シャルル・ダンジューにより建築が着手され、15世紀のアラゴン時代の改築を経て現在の姿にいたっている。ナポリの歴史とともに歩んできた建造物の一つと言える。市民にはその外観からマスキオ・アンジョイーノ(Maschio Angioino)の呼称で親しまれている。


写真3. 卵城 (Castel dell’Ovo)から臨むヴェスヴィオ火山


写真4. 新城 (Castelnuovo)

今回の旅行の目的であるナポリ国立古文書館(Archivio di Stato di Napoli)では、アンジュー家文書局発給登録簿の写しの調査と複写を行った。古文書館に入るとまず入口受付で紹介状を見せ入館手続きをしてもらった。その際に3桁の番号が発行されるのだが、それを今後入館の際に提示すると今年度期間内はスムーズに館内に立ち入ることができる。

古文書館に入館するとまず史料の配架番号を調べなくてはいけなかった。そのために目録室(Sala Inventari)で古文書館員の方の助けが必要になったのだが、ここで思わぬ困難に遭遇した。古文書館員の人の中にもナポリ方言を話す人やナポリ方言の発音でイタリア語を話す人がいて、その話す内容が私にはなかなか理解できなかったのである。何度も聞き直すことでなんとか理解するにいたったが、お互いにかなりの苦労を要した。


写真5. ナポリ国立古文書館 (Archivio di Stato di Napoli)


写真6. 同古文書館の閲覧室

自身の大まかな研究概要を伝えることに成功すると、アンジュー朝文書局復元目録 (Ricostruzione della Cancelleria angioina)をいただいた。今回の目的は、この目録を参考に17世紀の研究者カルロ・デ・レリス(Carlo De Lellis) が文書局発給登録簿を部分的に書き写したノタメンタ (Notamenta)と研究者のキアリート(Chiarito)によって書かれた同登録簿の目録集(repertori)の調査とその複写である。キアリートの目録集も文字通りの単なる目録ではなく、部分的に登録簿からの抜粋部分もあったので、利用する価値があった。

実際これらの史料を読むのは私にとって難しかった。デ・レリスのほうは登録簿ごとに筆跡が異なっており癖の強い字体が多い上に、当然のことながらラテン語の省略記号もそのままにして書き写されている。幸いにもボローニャ大学の古文書学の授業を受けていたため、これらの史料に対する最低限の理解は可能であった。ただし今後多くの時間を費やさねばならないだろう。こうした地道な史料の読解が歴史研究の基礎なのだと改めて実感している。


写真7. Carlo De LellisのNotamenta


写真8. Chiaritoの目録集 (repertori) 

今回の訪問だけではすべての史料を調べ撮影することは不可能であった。上記に挙げたノタメンタと目録集だけでなく、シーコラ(Sicola)による目録集(repertori)、ボレッリ(Borreli)による目録集(repertori)、さらには19世紀後半に同古文書館長であったカミッロ・ミニエリ・リッチョ(Camillo Minieri Riccio)の写本も適宜参照すべきことがわかった。6月度に再度古文書間への訪問を行う心積もりである。
2014/06/27 15:00