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頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム~EU枠内外におけるトランスローカルな都市ネットワークに基づく合同生活圏の再構築

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月度報告書(2014年7月度)中谷良

中谷良


7月度もボローニャでの研究活動とナポリでの史料調査を並行して行った。ボローニャでは、大学がバカンスで閉まる前にピオ先生に会いにいった。いつも通りラテン語史料の読解につきそってもらい、そこから南イタリア中世史に関する基本的な知識を獲得できた。次は9月1日以降お会いできるようで、そのときに今回の派遣での研究成果を先生に提示しそれに対するコメント等をいただく予定である。ナポリの国立古文書館でも引き続きアンジュー朝時代の登録簿に関して史料調査を行った。古文書館自体は8月中も開館しているが、史料複写ができなくなるため、この最後の期間に複写をすべてしてしまおうとする研究者であふれかえっていた。

ナポリでの史料調査のあとカーバ・ディ・ティッレーニの聖三位一体修道院(Badia della SS. Trinità di Cava de’Tirreni、以下「カーバ修道院」)に赴き、そこでも史料調査を行った。カーバ・ディ・ティッレーニ市は地理的にサレルノとナポリのちょうど中間に位置した山間部の都市であり、サレルノとナポリの両方面から高速バスに乗ることで到着することができる。しかし修道院に到着するためには、カーバの駅から市バスに乗り換えて、さらに20分ほどかけて山の中腹まで行かなければならない。こうした地方の小都市の公共機関にはよくあることだが、バス停自体がなかったり発車時刻が遅れたり、そして何よりバス自体が到着しないことが頻繁に起こりうる。今回も目的地へ到着するのに時間と労力を要し、地元の人の助けを借りてなんとか到着するにいたった。


写真1. カーバ修道院の前にたてられている教皇ウルバヌス2世像


写真2. カーバ修道院全体像。左手に見えるの扉から図書館に入館できる。

ベネディクト修道会に所属するカーバ修道院は、歴史研究にとって二つの意味で重要な修道院である。一つはその歴史的経緯にある。1011年にサレルノ侯に仕えていたロンゴバルド系貴族アルフェリオ(Alferio)によって創設されたのがこのカーバ修道院であるが、その創設以来南イタリアの権力者から譲渡や寄進によって多くの土地を保持するにいたった。11世紀後半から12世紀半ばの修道院長であったピエトロの時代には、すでに一つの司教区ほどの権力を有していたと言われている。さらに13世紀の終盤には修道院が保持する封土数が40を超え、ソレント半島周辺に限らずベネヴェント、イルピーナ地方、カラブリア地方、プーリア地方、そしてシチリア島にまで分布した。この意味でサレルノ近辺の地域史研究だけに及ばず、ノルマン時代以降のシチリア王国の各地域史研究において同修道院の存在は無視しがたいものとなった。

もう一つ重要なことは、上記に述べた証書群に対する修道士たちの研究とその複写・保管が中世以来熱心になされてきたことである。この背景の一つには各地に分散した封土、修道院、教会などに関わる諸権利の保護、さらには修道院側による個人や集団への土地譲渡や賃借の管理の必要性に応じて、その巨大な史料群の整備がなされたのである。ラテン語で書かれた羊皮紙文書数は15000を数え、さらに各地の様々な教会や修道院を寄進や譲渡を通じて獲得したことで、そこに納められていた文書をもカーバ修道院は保管しえたのである。修道士たちによる注意深い証書研究により現在まで多数の証書が当時の状態のまま適切に保存され、それらは南イタリアの歴史研究全体に大きく寄与しているのである。


写真3. 図書館入り口


写真4. 修道院長ピエトロの時代に建設され、近代にはいって再建されたバシリカ

現在まで修道院側によってなされた土地の譲渡や賃借に関する証書は、併設されている図書館にて保管されている。今回の訪問の目的は、その各地に広がる土地の貸借を記した証書の中から、とりわけ13世紀におけるルチェーラやプーリア地方に関わるものがないかどうかを調査することであった。事前に同修道院の図書館の司書の方とは連絡をとっていたので、入館手続きはスムーズに終わった。私自身の研究を彼らに説明した後、先述の証書に関する情報をいただいた。また親切にも私の研究に関わる文献なども積極的に探してくださった。

そうした文献情報の中で特に目をひいたのが、アンジュー朝時代の証書群の目録集 (Repertorio delle pergamene dell’Archivio Cavense: Periodo Angioino: 1266-1442)である。幸運なことに、この目録集は去年刊行されたばかりであった。当然ながらその図書館に保管されており、その場で閲覧させていただいた。一つ一つの証書に関する情報が簡易なラテン語で記載されており、また実際の羊皮紙を読む手間も省けたことで調査のスピードは予想以上に早く進めることができた。

調査の結果、ルチェーラのムスリム共同体の有力者への土地貸借の証書は、すでにピエトロ・エジディ(Pietro Egidi)の刊行史料集にて活字化されていたもののほかに新しいものはないという結論にいたった。ただ私の研究テーマに関わる証書はあったので、必要に応じてそれらの証書を写真撮影させていただいた。証書全体の傾向からすると初期アンジュー朝時代の同修道院の土地の譲渡や貸借は、その修道院が位置するソレント半島周辺(とりわけサレルノ、エーボリ、ノチェーラ)に多く見られることから、プーリア北部への活発な土地取引はなされていなかったことがわかる。しかしながら同修道院が南イタリア各地に土地やその諸権利を有し中世南イタリアの歴史に大きく関わってくる事実からも、実際にどれくらいの土地をプーリアに所持していたのか、当時の修道院側の土地取引にはどのような特色があるのかなど検討していくことは今後必要であると思われる。


写真5. ルチェーラの聖ジャコモ教会近辺の土地貸借に関する羊皮紙文書
2014/08/22 13:20