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月度報告書(2014年9月度)原田亜希子

原田亜希子


9月に入り、ボローニャの街もようやく夏休みから通常の生活へと戻った。図書館や文書館も通常開館となり、8月いっぱい閉まっていた歴史学科の校舎も開放され、新学期の手続きのためにヴァカンス帰りの多くの学生でにぎわっていた。今月も再び文書館での史料調査と、図書館での文献収集を行った。また今月は日本からいらっしゃった奈良女子大学の教授にボローニャ文書館の文書館員Rossella Rinaldi氏を紹介していただき、彼女のご好意で文書館の中を案内していただいた。普段の史料調査では閲覧室でのみ作業しているが、文書館には付属の図書館もあり、閉架式ではあるが、他の図書館にはない専門文献も所蔵している。

さらに興味深かったのは通常は入れない職員専用の2階を案内していただいたことだ。2階は文書館職員のオフィスと、修復のためのラボが併設されている。修復ラボでは通常3,4人の文書専門の修復家が作業しているという。私が見せてもらったときには作業は行われていなかったが、いくつか現在修復作業中の史料を見せていただいた。中でも17世紀のボローニャ近郊の水路が詳細に描かた地図は色も鮮やかに修復され、また薄くなった部分には補強として和紙が使用されていた。文書館の方によると、イタリアの文書修復でも最もよく使われるのが、紙の中でも丈夫な日本の和紙だという。また驚いたことに、修復ではよく文書を水で洗浄する作業も行うという。文書は最も水分に弱いイメージを持っていたが、修復の際に洗浄してもインクは落ちずに汚れを落とすことができるとのことだった。

普段文書史料を扱う際、イタリアでは通常手袋は使用しない(犬童氏の以前の報告の中でドイツでは手書き史料を扱う際に手袋の使用が義務付けられているところがあるとあったが、ここイタリアではローマ、ボローニャなど少なくとも私が今まで使用した文書館で手袋の着用が義務付けられているところはなかった)。とはいえ、史料を閲覧することは同時に史料に接触し、何らかの介入を行うことであり、たとえどれだけ注意していたとしても、劣化は避けられない。文書館の方も、史料を調査する上ではこれは避けられないことであり、研究者から研究の機会を奪うことなく、同時に史料を可能な限りそのままの状態で保存するためのバランスを維持することが大切だとおっしゃっていた。そのためにもできるだけ劣化を抑えるための「修復」は非常に重要な作業であり、普段我々が使用させてもらっている史料がこのようにして修復されているということを目にすることができ、大変感慨深かった。


修復ラボの様子1


修復ラボの様子2


修復ラボの様子3 (奥で洗浄し、手前の台で乾燥させる)

また9月18日から19日にかけてはローマで行われた学会に参加した。この学会は8月に文書館でAndrea Gardi教授とお会いした際に、誘っていただいていた学会である。学会はローマの中心、ヴェネツィア広場近くの貴族の館、Palazzo Mattei di Gioveにて行われた。なおこの場所自体、近世ローマを考える上で非常に重要な場所である。そもそもMattei家はローマの伝統的家系のひとつとして、16世紀のローマ都市政府の中で最も重要な役職を務めた家系のひとつである。

現在Palazzo Mattei di Gioveがある場所は、もともとMattei家一族の館が隣接しており、観光地として有名な亀の噴水もこのMattei家の注文によって作られたものである(なお、この噴水は16世紀半ばに修復され使用されるようになったヴェルジネ水道からの水を使用して都市政府が設置した噴水のひとつであるが、当時の都市評議会でこの近くの別の場所に噴水を設置するはずであったところを、自身の家の近くに設置することを望んだMattei家が自らの権限で強引に場所を変更させたことが議事録に残っている)。さらにこの近くにローマのゲットーがあったことから、今でもこの地域にはその当時を思わせる様々な建築物が残っている。Palazzo Mattei di Giove自体は16世紀末に建てられ、当時のMattei家の古代コレクションの彫刻が今も至る所に飾られている。現在は「近現代史図書館」と「アメリカ研究所」として使われており、学会はこの「アメリカ研究所」の一室、17世紀のフレスコ画で飾られた部屋にて行われた。


Palazzo Mattei di Giove外観


亀の噴水(Piazza Mattei)


Palazzo Mattei di Giove古代彫刻で飾られた中庭の様子


Palazzo Mattei di Giove階段の様子

学会は「中近世の文書館に対する比較研究」と題し、我々が普段研究のために使用している文書館を単に史料を保存する場所としてみるのではなく、それ自体を歴史的現象・考察対象ととらえ、いつ、どのような目的で、誰によって設立され、そしてどのような人たちによって運営されていたのか、文書館を当時の政治的・社会的・文化的コンテクストの中で読み直そうとする試みがなされた。特にイタリアは文書館の設立が早く、また中世以降書記(Notaio)が社会的にも重要な地位を獲得していたことから、様々な議論が交わされた。

さらにイタリア各地の研究者が集まったことで、異なる政治体制の中での文書館のあり方に対して、様々な比較研究の可能性が議論された。近世国家確立期における中央権力と地方との関係を考察する私の研究にとっても、文書館というものが中央が地方に統治を確立する上での手段であったと同時に、地方側からも中央との関係を確立する上での手段であったという二つの異なる見方の興味深い発表を聞くことができたことは、非常に有意義なものだった。

また学会にはGardi教授をはじめ、ローマ、ボローニャ近世史の大家の先生方がたくさんいらっしゃっており、Fosi教授(ペスカーラ大学、近世教会国家における司法制度を研究されている)など遠方にいらっしゃるために普段はなかなかお話しすることができない教授とも、私の研究に関してお話し、有益なアドバイスをたくさんいただけたことは、とても貴重な経験であった。


学会の様子

また同じく文書を保管する場所として、今月はチェゼーナにあるマラテスティアーナ図書館の半日見学ツアーにも参加した。チェゼーナはボローニャの南東、海よりの町である。

ここにあるマラテスティアーナ図書館は、ヨーロッパ初の市立図書館として、自治体の財産によって作られ、すべての人に開かれた図書館であったといわれている(とはいえ、管理はフランシスコ会修道院に任されていたために、実際には市立兼修道院付属図書館であり、当時はそれぞれが鍵を保持していたために2つの鍵があったそうである)。チェゼーナ領主ノヴェッロ・マラテスタによって15世紀半ばに建てられ、現在もルネッサンス人文主義の図書館としての当時の構造、備え付けの家具、写本がそのままの形で残っている唯一の図書館である。2008年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。

そのままの形で残っているということは、内部に電気や暖房設備なども全くない。残念ながら私が見学した時間はすでに夕方であったために、図書館内はかなり暗くなっていた。とはいえ、日中は自然光がうまく入るよう計算されており、内部の温度も構造的に外部より低くなるように設計されているとのことだった。残念ながらルネッサンス時代の慣例である写本が鎖でつながれている様子は見学することができなかったので、また日を改めて訪れたいと思う。


マラテスティアーナ図書館外観


図書館内部の様子


マラテスタ家のエンブレム「象」
下の象にはモットー「インド象は蚊をおそれず( Elephas Indus culices non timet)」も書かれている。
2014/10/20 18:00