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月度報告書(2014年10月度)原田亜希子

原田亜希子


10月は一年のなかでも最も気候がよく、冷夏で雨の多かった夏から一変して、10月に入ると気持ちのよい晴れの日が続いた。イタリアでは10月4日は国の守護聖人聖フランチェスコの祝日である。しかしここボローニャでは10月4日はボローニャの守護聖人聖ペトロニオの祝日でもある。現在のイタリアでは聖フランチェスコの祝日は国民の休日ではないが、ボローニャでは聖ペトロニオの祝日としてボローニャ市内の学校はすべて休校になっている。

そして9月末から10月4日にかけて、聖ペトロニオ聖堂、ならびにその前の中央広場ではボローニャの守護聖人を記念した様々なイベントが行われた。中でも私は10月3日の夜に前夜祭として聖堂内で行われたコンサートに参加した。コンサートは17世紀にボローニャで活躍した作曲家の作品にささげられ、オーケストラと多重コーラスによって演奏された。9時からの開演であったが、すでに8時半には聖堂前に長蛇の列ができていた。普段は閑散とした聖堂内もこの日は多くの人が集まり、また高さ約44メートルのゴシック様式の聖堂は最高の音響効果を発揮していた。聖堂内のすべての明かりがついた荘厳な雰囲気の中聞く美しい音色は、非常に幻想的であった。

 
コンサート前の聖ペトロニオ聖堂前の様子

 
コンサートの様子

またコンサートに先立って行われたボローニャ市長の演説も非常に興味深いものだった。そもそも宗教的儀式である聖人の祝日に際して市長が演説を行うこと自体、ボローニャと聖ペトロニオとの特別な関係を象徴しているように感じる。まず第一に聖ペトロニオ聖堂はボローニャの司教座聖堂ではない(ボローニャ司教座聖堂は聖ピエトロ聖堂)。また、意外なことにも聖ペトロニオ聖堂が正式に献呈式を行ったのは1964年10月3日と、聖堂の建設が始まり最初のミサを行ってから562年もあとのことである。

これほどまでに献呈が遅れた理由のひとつが教会の所有が1929年のラテラノ協定まで都市権力にあったことに由来する。つまり聖ペトロニオ聖堂は歴史的にも都市の(世俗)権力との関係が非常に強い教会なのである。また献呈式が遅れたもうひとつの理由が、この聖堂が現在も未完成のままであることにある。聖堂が未完成のままの原因としては、16世紀にこの聖堂がヴァチカンの聖ピエトロ聖堂の大きさを超えることを懸念した教皇によって反対されたためや、金銭不足などが言われている。

またファザードに関しても当時の一流の建築家(アンドレア・パッラーディオ、ジュリオ・ロマーノ、アルベルト・アルベルティなど。教会のファザードの設計案に関しては2011年に開催された展覧会のカタログMarzia Faietti, Massimo Medica, La Basilica incompiuta - Progetti antichi per la facciata di San Petronio, Ferrara, Edisai, 2001.を参照)が様々な設計案を出したが、採用されることはなかった。これは中世からのゴシック様式を好む都市権力と、ルネサンス様式を推した教皇との間で折り合いがつかなかったためだという。

イタリアの多くの教会のファザードがルネッサンス、バロック期に様変わりをする中で、一目で未完成と分かる独特のスタイルを保ち続け、最終的に1964年に未完成のまま献呈式を行ったことで事実上「完成」した聖ペトロニオ聖堂はボローニャ市と教皇権力の複雑な関係を象徴するものであり、都市のプライドの証といえるだろう。実際市長の演説の中でも、ボローニャ人としての誇りが至る所で強調されていたように思う。今年は献呈式から50周年という節目の年であり、またちょうどファザードの修復が終わりすべての足場が取り除かれたことで、この日の夜はボローニャの象徴である聖ペトロニオ聖堂のファザードが新しいライトアップでのお披露目となった。

 
参考 修復中の聖ペトロニオ聖堂(4月撮影)


修復後の聖ペトロニオ聖堂

今月も図書館や文書館で引き続き史料調査を行った。また10月は様々な文化的イベントが行われていたために、歴史に関わるイベントに積極的に参加した。

まず、指導教授であるMuzzarelli先生に教えていただき、ボローニャの隣の街フェッラーラにて行われた国際セミナーに参加した。フェッラーラはボローニャから特急で30分、ローカル線でも1時間ほどと比較的近い街であるが、街の雰囲気はボローニャとは大きく異なる。歴史的にもエステ家の宮廷文化が花開いたフェッラーラはルネッサンスの時代にはフィレンツェと並び称され、今でもスキファノイア宮殿を始め様々なルネッサンスの芸術が残っている。また街の北側は比較的広い道が整備されている一方で、南側は狭い道が迷路のように入り組み、中世の面影を感じさせてくれる。

セミナー会場が中央駅に対して街の反対側の大学の校舎が集中する地区だったために、会場に行くために街を縦断しながら歩いているだけでも目に入る景色が新鮮で興味深かった。セミナーは「歴史とイメージの歴史」と題し、図像資料を美術史的観点から考察するのではなく、ひとつの史料として歴史家の視点から考察する試みがなされた。Muzzarelli先生も、旧約聖書のエヴァを誘惑する蛇の図像が男性的表象から女性的イメージへと変化する過程を追うことで、当時の精神性を考察する発表をされた。そのほかにも日本の「地図屏風」から16,17世紀における日本人の西洋の需要や、空間概念の変化を考察する発表は、一日本人として非常に興味深かった。

 
北側のフェッラーラの街並み


中世の面影が残る南側のフェッラーラの街並み


スキファノイア宮殿内部

また10月後半の2週間はボローニャにて「国際歴史フェスティバル」が開催された。これは今年で11回目となるイベントで、毎年ボローニャ大学、ボローニャ国立文書館・美術館・図書館、その他様々な教育機関の協力の下、歴史に関わる様々な講演会やワークショップを行うものである。その中でも私はボローニャ国立文書館で行われた講演会、ボローニャ都市史博物館で行われたシンポジウム、そしてドメニコ会付属の図書館で開催されたシンポジウムに参加した。

まずボローニャ国立文書館で行われた講演会では、今年がちょうどボローニャ都市のUfficio di memoriali職(都市の公証人の記録を管理する役職)創設750周年であることを記念して、当時の社会を写す鏡であるMemoriali(公証人記録)史料を、歴史的観点のみならず、美術・文学・法学といった様々な観点から5週連続で話された。またボローニャ都市史博物館のシンポジウムでは、ボローニャのポルティコをユネスコの世界遺産登録に申請するために現在進行中のプロジェクトや、都市とポルティコに関する歴史が語られた。

そして私にとって最も印象的だったドメニコ会付属の図書館で行われた講演会は、今年のフェスティバルのメインテーマである、4月に亡くなったジャック・ル・ゴフにささげられ、特に彼の「『煉獄の誕生』出版から33年たった今」と題して行われた。私自身学部生のときにはじめて「煉獄の誕生」を読んだことを懐かしく思い出しながら参加した。ただし実際の講演会ではル・ゴフの作品というよりは、歴史家とは違う視点から煉獄を解釈したイタリアの偉大な作家ダンテを中心にしたものであり、少々予想していたものとは違う結果だった。とはいえ、夜の9時から始まり夜中の0時近くまで続いたシンポジウムには多くの人が集まり、聴衆を交えた議論が発表中にもなされたり、ダンテ研究者による迫力のある神曲の朗読(イタリアでは学校で神曲の一部を暗記するために、ほとんどの人がそれに合わせて暗証している様子)、そして史料上はなかなか足跡がたどれないとはいえダンテが確かにボローニャにて学んでいたことを熱く語る研究者たちの様子など、非常に印象的であった。


聖ドメニコ聖堂外観


ドメニコ会付属図書館内部

そして10月の最後の週は、ドイツのビーレフェルト大学にて開催された国際共同セミナー「Europa in Times of Glocalisation」に参加するためにボローニャから有田氏とともに4泊5日でドイツに渡った。

ビーレフェルトでは犬童氏に大学、街の中心を案内していただいた。ボローニャ大学のようにもともとある建物を大学の校舎として利用するのとは異なり、ビーレフェルト大学の非常に機能的な構造は衝撃的であった。また個人的に北ドイツのプロテスタント圏を訪れることは初めてだったために、街並みや教会など見るものすべてが新鮮で非常に興味深かった。国際共同セミナーでは、様々なテーマの発表に対して、個別での議論はもちろんのこと、全体的な視野においても活発な議論がなされ大変勉強になった。その後のハンブルクでは体調を崩してしまったために最終日のエクスカーションに参加することが残念ながらできなかったが、犬童さんに半日案内していただいたハンブルクもまた、イタリアの街並みとは違う意味で非常にきれいな街であった。

普段イタリア史を研究しているために、イタリア内を移動することはあってもヨーロッパ、特にゲルマン系のドイツにはなかなか訪れる機会がなかったが、違いを目にすることによって視野が広がり、今後の自身の研究にとっても非常に有意義なものであったと思う。今回このような貴重な機会を与えていただきましたこと、この場を借りて御礼申し上げます。

 
ビーレフェルト大学内部


ビーレフェルト旧市庁舎
 

ハンブルク、聖ミヒャエル教会


参考 ローマのSan Luigi dei Francesci教会
(聖ミヒャエル教会と同じく17世紀前後に作られたバロック建築の教会)

2014/11/19 14:00