犬童芙紗
ビーレフェルトの朝の光景を比較してみる。
まず、10月28日午前7時。明るい。朝焼けがきれいだ。
写真1:10月28日午前7時
1ヶ月後の11月28日午前7時。真っ暗。街灯の明かりしか見えない。
写真2:11月28日午前7時
午前7時30分。外の様子が分かるようになってきた。
写真3:11月28日午前7時30分
午前7時45分。だいぶ明るくなってきた。街灯の明かりは付いたまま。
写真4:11月28日午前7時45分
午前8時。街灯の明かりが消えた。
写真5:11月28日午前8時
1ヶ月の間に夜明けの時間が急速に遅くなった。
今月は15日から22日までの1週間、ハンブルクに滞在し、ハンブルクの州立公文書館(Staatsarchiv Hamburg)で史料調査を行った。
写真6:ハンブルク公文書館。公文書館前の木々の色はすっかり黄色に変わっていた。
今回の史料調査の目的は、ハンブルク・ジングアカデミーと慈善組織との関係を探ることであった。ハンブルク・ジングアカデミーは、1835年から毎年、公開演奏会を開催し、演奏会の入場券とテキストの販売によって得た収益金を市民の有志によって設立された慈善組織に寄付していた。だが、ジングアカデミーが演奏会の収益金を寄付していた慈善組織はほぼ固定されている。公文書館では、ジングアカデミーの演奏会の収益金の主な寄付先となった慈善組織との関係を探るために、慈善組織側の史料を調査した。それらから、ジングアカデミーの史料を補足する情報を得ることができた。
ハンブルクではまた、11月15日にHauptkirche St. Trinitatis Altonaで開催されたハンブルク・ジングアカデミーの演奏会を訪れた。
写真7:ハンブルク・ジングアカデミーの演奏会会場となったHauptkirche St. Trinitatis Altona
写真8:この日のハンブルク・ジングアカデミーの演奏会プログラム。
演奏会のテーマは、バロックから20世紀にかけてのマニフィカト(Magnificat)であった。マニフィカトとは、新約聖書「ルカによる福音書」の第1章聖母マリアによる賛歌「我が心、主を崇め」に基づいて作曲されたキリスト教聖歌であり、中世から現代に至るまで、多くの作曲家によって曲が付けられている。この日は、デュランテ(Francesco Durante, 1684-1755)Magnificat in B、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)Magnificat aus "Vesperae solennes de confessore" KV 339、メンデルスゾーン=バルトルディ(Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809-1847)Motette op. 69 "Mein Herz erhebet Gott, den Herrn" für Chor und Solostimmen、ラター(John Rutter, 1945-)Magnificatの4曲が演奏された。非常によく訓練された素晴らしい演奏であった。
写真9:ジングアカデミーの演奏会の様子
演奏会終演後、ハンブルク・ジングアカデミーの前第一会長(1. Vorsitzender)のWolfgang Poppelbaum氏にお話をうかがうことができた。筆者は、ジングアカデミーの公式サイトを通じて、11月15日に演奏会が開催されるという情報を得、ハンブルクに出発する前にジングアカデミーの事務局にメールを送り、現在の自分の研究内容について伝え、ジングアカデミーの歴史的な意義を明らかにするためにも現在のジングアカデミーの活動についても知りたいという旨を伝えていた。すると、前会長のPoppelbaum氏を紹介してくださった。
Poppelbaum氏は、ハンブルクの保険会社Hamburger Feuerkasseの元代表取締役社長(Vorstandsvorsitzender)で、本業のかたわらジングアカデミーで歌い、ジングアカデミーの歴史をまとめ、『ハンブルク人物事典』(Hamburgische Biografie. Personenlexikon)(Hrsg. von Franklin Kopitzsch und Dirk Brietzke. Band 1, Christians, Hamburg 2001; Band 2, Christians, Hamburg 2003; Band 3, Wallstein, Göttingen 2006; Band 4, Wallstein, Göttingen 2008; Band 5, Wallstein, Göttingen 2010; Band 6, Wallstein, Göttingen 2012))において、ジングアカデミーの歴代音楽監督等の項目の執筆をご担当なさっている。Poppelbaum氏は筆者に、2009年に、ハンブルク・ジングアカデミー設立190周年(設立年は1819年)に際して、氏自ら、個人所蔵の史料をもとに編纂した記念誌、『ハンブルク人物事典』の歴代音楽監督の項目のコピー、1994年に編纂された設立175周年記念誌を送ってくださった。
写真10:Poppelbaum氏よりいただいた資料
Poppelbaum氏は、現在のジングアカデミーの事情は、設立された19世紀初頭とはだいぶ変わっているとおっしゃった。まず、19世紀は、会員は富裕な人たちが中心で、かつ会員数が一時は180人に達するほど多かった。しかし現在は、会員数が45名と少なく、会員個々の経済力もかつてほど高くない。そのような事情もあり、かつては演奏会の収益金を慈善に回す余裕もあったが、今はそのような余裕はない。今はむしろ、演奏会を開催するために、ジングアカデミーのほうが金銭的支援を必要としているほどである。この日の演奏会のプログラムには、スポンサーとなった保険会社Hamburger Feuerkasse(Poppelbaum氏がかつて社長を務めておられた企業であることが示唆的である)のロゴマークが印刷されていた。Poppelbaum氏との会話を通じて、19世紀から20世紀、さらに現在にかけて、社会あるいは人びとの間において音楽活動の意義が変化し、それに伴って市民音楽文化活動の主体的な担い手およびその活動を支える基盤が転換したという経緯があるのではないか、という示唆を得た。
ところで、ここで、11月21日のハンブルクの光景を紹介したい。
朝、宿泊先から外に出てみると、辺り一面、濃い霧に覆われていた。霧が濃い中、いつものように公文書館に向かった。
写真11:11月21日の朝、ハンブルク、Wandsbeker Marktstraße。
道路の反対側には、Wandsbeker Marktplatzで開催されている冬祭りのテントや小屋が並んでいる。
ハンブルク、Wandsbek地区のランドマークの教会、Christuskirche Wandsbekの姿が見えない。
写真12:霧の向こう側に隠れたChristuskirche Wandsbek
前日20日には、Christuskirche Wandsbekはこの通り、くっきりと見えていた。
写真13:Christuskirche Wandsbek。前日20日に撮影
夕方、公文書館の閉館時刻の16時を過ぎ、公文書館から外に出たが、霧は晴れていなかった。
写真14:11月21日、16時過ぎ、公文書館のそばにて撮影
写真15: Wandsbek中央バスターミナル(ZOB (Zentraler Omnibus Bahnhof) Wandsbek)
中央バスターミナルに隣接したWandsbeker Marktplatzでは、冬祭り"Wandsbeker Winterzauber"が開催されていた。イルミネーションが霧に反射されているせいか、幻想的な雰囲気が醸し出されていた。
写真16:11月21日、Wandsbeker Marktplatzの冬祭り"Wandsbeker Winterzauber"
冬祭りには、大人も子どもも、あらゆる人びとが訪れ、食べ物や飲み物を片手に語らい合っていた。
写真17:Wandsbeker Marktplatzの冬祭りに集う人びと
冬祭りには、ソーセージ、グリューワイン、レープクーヘン、焼きアーモンド、クレープ、菓子、ろうそく、木工細工など、様々なスタンドが軒を連ねていた。
写真18:Wandsbeker Marktplatzの冬祭りで軒を連ねるスタンド
翌22日の朝、前日には濃かった霧は晴れ、Christuskirche Wandsbekの塔もよく見えた。
写真19:11月22日の朝、Wandsbeker Chausseeより、Christuskirche Wandsbekの塔を眺める。
11月21日のハンブルクのレポートは以上。
ハンブルクから戻り、1週間ぶりにビーレフェルト大学の研究室に行ってみた。すると、エップレ教授の秘書の部屋のそばの窓辺に、クリスマスツリーが飾られていた。飾り付けたのは、秘書である。この日は11月24日。クリスマスイヴのちょうど1ヶ月前であった。
写真20:秘書の部屋のすぐ外の窓辺に飾られたクリスマスツリー。
ツリーの足元には、マツの葉、まつぼっくり、星、シナモンスティック、白い綿のような植物がセンス良く並べられている。
史学科のフロアのキッチンの窓辺には、マツの葉のアレンジメントが飾られていた。クリスマスツリーの飾り用のボール、まつぼっくり、シナモンスティック、星等、様々なデコレーションを用い、クリスマスらしくアレンジして生けられている。これも秘書によるものである。マツの葉と共に生けられている白い綿のような植物はWaldrebeだと教えていただいた。秘書は、このWaldrebeによって、"kuschelig"な雰囲気を出したとのこと。"kuschelig"とは、柔らかく、暖かく、gemütlich(居心地の良い)で、柔らかく膨らんだ毛布やソファを連想させる形容詞である。外の厳しい寒さとは対照的に、暖かく、快適な室内で温かく過ごすというイメージが似つかわしい季節となった。
写真21:フロアのキッチンの窓辺に飾られたマツの葉のアレンジメント
Waldrebeは、大学の近くの通りVoltmannstraßeの橋の横に植わっているとうかがった。後日、秘書に教えられた通り、Voltmannstraßeの橋の所に来てみた。
写真22: Voltmannstraßeの橋。右手前に見える高い枝がWaldrebe。
すると、白い綿のようなものがたくさん付いていた。
写真23:Waldrebe。秘書が飾りに使っていたものと同じだ。
ビーレフェルト中心部では、11月24日、各地でクリスマス・マーケット(Weihnachtsmarkt)が開幕し、街はクリスマスの飾りやイルミネーションで華やかになった。
写真24:Alter Marktのクリスマス・マーケット。多くの人びとでにぎわっている。
写真25:聖ニコラウス教会とAlter Marktの間。
教会は、そばに多くの屋台が並んでいるせいか、足元がライトアップされているように見える。
写真26:Jahnplatzのクリスマス・マーケット。星空をイメージする巨大な光のテントが広場を覆っていた。