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月度報告書(2015年1月度)有田豊

有田豊


2015年を迎え、クリスマスの時期にボローニャを華やかに彩っていたイルミネーションも撤収、街は少しずつ普段の様相を取り戻してきた。今回ボローニャで年末年始を過ごすにあたり、かつてフランスとスイスで新年を迎えた経験のある報告者は、イタリアではどのように年を越すのか非常に興味があった。大晦日にボローニャ市内を歩いてみると、クリスマスの時期とは違い、多くの人通りがあった。ただ、明らかにいつもと様子が違ったのは、街の中心部に位置するマッジョーレ広場に「謎の巨大な人形」が出現していたことである。

【マッジョーレ広場に突如現れた巨大な人形】
 

これは「ヴェッキオーネ」Vecchione といい、旧年(今回は2014年)を象徴する人形らしい。新年が明けると同時にこのヴェッキオーネに火を放ち、燃やしてしまうことで旧年のことを忘れ、新しい年がよりよくなるようにという願掛けを行うのがボローニャの伝統なのだとか(この願掛けを「ヴェッキオーネの篝火」Falò del vecchione という)

【ライトアップされたヴェッキオーネ】
 

年が変わる少し前、23時半ごろにマッジョーレ広場まで来てみると、そこには身動きが取れないほどの人海があった。23時45分からは、広場に隣接するポデスタ宮 Palazzo del Podestà に設置されたスクリーンに、2014年の残り時間を示す数字が表示された。喧騒の勢いは徐々に上昇、最後の10秒間は皆でカウントダウンを行い、2015年に突入するやいなや爆竹や花火の音が鳴り響くなど、広場の盛り上がりは頂点に達した。そして、人々が新年の到来を歓ぶ中、例のヴェッキオーネには火が放たれ、飛び交う火の粉がボローニャの空を赤く染め上げた。静かに年越しを行う日本とは異なり、ヨーロッパではこうして賑やかに新年を迎える。フランスやスイスと同様、イタリアにおいてもそれは変わらず、親しい人たちと街に繰り出し、普段とは異なる特別な雰囲気をみんなで楽しむのだろう。

【ポデスタ宮に投影されたカウントダウン:2014年も残り4分53秒】
 

【カウントダウン終了直後、炎に包まれるヴェッキオーネ】
 

今月の研究状況としては、月半ばにムッツァレッリ教授より「来年のヴァルド派研究協会での発表」について指導を受け、月末にはイタリアの首都ローマに足を運んでヴァルド派の教会と神学校を訪問してきた。

ローマには2つのヴァルド派教会があり、1つはサンタンジェロ城 Castello di Sant’Angelo に近いカヴール広場 Piazza Cavour、もう1つはヴィットリアーノ Vittoriano に近い11月4日通り Via IV Novembre に見ることができる。11月4日通りのヴァルド派教会には週2回(水曜日と日曜日)の礼拝日があり、今回の滞在中に水曜日の方の礼拝に参加してきた。水曜日の礼拝は通常日曜日に行うそれを簡略化した形式のようで、通常1時間半ほど行うところが45分に短縮されており、参加者も報告者を含めて5人しかいなかった。礼拝後に話をする機会を得たヴァルド派牧師のエマヌエーレ・フィウーメ Emanuele Fiume 氏は、スイスのチューリッヒ大学にて神学の博士号を取得しているらしく、何か知りたいことがあればいつでも連絡してくれていいとのこと。これまで報告者は、基本的にヴァルド派の歴史的側面にばかり目を向けてきており、その神学的側面には殆ど目を向けてこなかった。実際にヴァルド派牧師の方々と話をする中で、今後は少しずつヴァルド派の持つ神学に関しても議論できるよう研鑽を積んでいきたいと思う。

【ローマのヴァルド派教会(カヴール広場 Piazza Cavour)】
 

【ローマのヴァルド派教会(11月4日通り Via IV Novembre)】
 

続いて訪れたヴァルド派神学校 Facoltà Valdese di Teologia は、イタリア国内で唯一のプロテスタント系神学校である。校名に「ヴァルド派」が含まれてはいるが、ヴァルド派以外の信者も入学可能であり、イタリア国内の様々な宗派――メソディスト教会、バプテスト教会、アドベンティスト教会など――の学生が、牧師になるべく日夜研鑽を積んでいる。学校訪問の折には、ローマ・ラ・サピエンツァ大学 La Sapienza – Università di Roma でメソディスト教会を研究している後期博士課程の学生アンドレア・アンネーゼ Andrea Annese氏に協力を求めた。彼とは昨年9月にヴァルド派研究協会の研究発表会の場で知り合って以来、お互いの研究テーマが近いことから時々連絡を取り合っていたのだが、彼がこれまでに何度か神学校内の図書館を利用しているとの話を聞き、案内を頼んでみたのである。すると、彼が知り合いの先生に連絡を取ってくれて、先生直々に学校や図書館を案内していただけることになった。

【ヴァルド派神学校正面入り口(1860年創設):創設当時はフィレンツェに校舎があったが、1921年にローマへ移転した】
 

今回、ヴァルド派神学校内部を案内して下さったのは、当校で教鞭を取るダニエーレ・ガッローネ Daniele Garrone 教授。授業準備の合間をぬって、学校に関する様々な説明と共に、教室や図書館などを見せて下さった。学校自体は非常に小さなもので、事務室のほかに会議やシンポジウムを行う大教室と通常授業を行う教室、図書館というシンプルな構成である。図書館について聞いた説明によると、報告者が頻繁に訪問しているトッレ・ペッリーチェのヴァルド派文化センターの図書館に「ヴァルド派やプロテスタントの歴史」に関する文献が充実しているのに対し、ヴァルド派神学校の図書館には「ヴァルド派やプロテスタントの神学」に関する文献が充実しているという。実際に本棚も見せていただいたが、ヴァルド派以外の宗派に属する学生も多く学びに来ているからか、配架されている文献は決してヴァルド派に特化してはおらず(もちろんヴァルド派関連コーナーは設けられている)、様々な宗派のプロテスタント神学に関するものだった。

一通り学校内を見学した後、ガッローネ先生に報告者の博士論文を謹呈した。日本語で書いたものだが、研究テーマ自体には大変興味を示して下さり、ありがたいことに謹呈した博士論文を当校の図書館にて保管する旨を申し出て下さった。帰り際には「またいつでも勉強しにきていいから」との嬉しいお言葉もいただき、ヴァルド派の歴史のみならず、神学についても理解を深めようと考えていた矢先だったので、今後は当校の図書館も積極的に利用していきたいと思う。

【ヴァルド派神学校内部】
 

【ヴァルド派神学校図書館:学校関係者でなくても自由に利用できるようになっている】
 

ローマには、もう一つヴァルド派に関連する建物がある。サンティ・クアットロ・コロナーティ教会 Basilica di Santi Quattro Colonati である。コロッセオとサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂 Basilica di San Giovanni in Laterano の間に位置する当教会は4世紀に作られたもので、後にノルマン人たちに破壊されたのを9世紀に教皇レオ4世が再建、12世紀には教皇パスカリス2世の手によってさらに修復されたという歴史を持つ。16世紀以降はアウグスティノ女子修道会 Monache Agostiniane Monastero が所有しており、報告者が訪問した時はちょうど9時課の礼拝を行うところで、修道女たちによる聖歌斉唱を聞くことができた。話を元に戻し、当教会がなぜヴァルド派に関連しているかというと、ここにはローマ教皇シルウェステル1世にちなんだ礼拝堂 Cappella di San Silvestro(1246年建造)があり、中世ヴァルド派の間で語られていた起源伝承のモチーフとなったローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世 Constantinus I にまつわるフレスコ画が礼拝堂の壁に描かれているのである。

【サンティ・クアットロ・コロナーティ教会】
 

【聖シルウェステル礼拝堂内部】
 

シルウェステル1世 Silvester I とは、4世紀のローマ教皇(在位314-335年)の一人である。側近の信者たちと共にローマ近郊で清貧に基づく使徒的生活を行っていた彼は、ハンセン病を患っていたローマ皇帝コンスタンティヌス1世に洗礼を施して病を治癒したことから、その感謝の印として皇帝からローマ帝国の西半分における世俗的支配権を寄進された。この一連の出来事は、皇帝が教皇に権力を寄進する際に贈られたとされる『コンスタンティヌスの寄進状』Constitutum Constantini という文書に記載されている。ローマ帝国の西半分の統治権を教皇に委ね、自らは海の彼方の土地へと去り、そこにコンスタンティノポリスという都市を築いて隠遁するという内容を含んだ当該文書は、中世におけるローマ教皇と神聖ローマ皇帝の間で聖職者の任命権をめぐって行われた「叙任権闘争」の際に、教権の優位性を説く根拠として用いられたという。しかし、この文書は15世紀にイタリアの人文学者ロレンツォ・ヴァッラ Lorenzo Valla によって偽造文書であると提言され、幾度かの論争を経たのち、18世紀になってから寄進状に書かれている内容は史実ではなく、単なる伝承であったと確定されている。

【病に倒れるコンスタンティヌス1世】
 

【コンスタンティヌス1世に洗礼を施すシルウェステル1世】
 

中世ヴァルド派は『コンスタンティヌスの寄進状』の内容に独自の解釈を付加し、自らの起源を示す伝承として信者間で語り継いでいた。14世紀半ば頃に記された中世ヴァルド派文書の1つ『選民の書』 Liber electorum によれば、彼らの起源伝承の内容は以下の通りである。

「寄進状の時までは神聖なものだったローマ教会は、シルウェステルが寄進状を受けとったことで、教会の大部分は異端的なものとなっていった。しかし、純粋な幾人かの側近が彼の傍から離れていくことにより、教会の一部は真理の内に留まった。寄進状の件から800年後、ペトルス Petrus またはワルディス Waldis という名の人物が福音書の言葉を受け、自発的清貧の生活を実践するようになる。さらに自ら説教を行ったことで、彼の周囲には多くの人々が集まり、徐々に集団の規模を大きくしていった。しかし、ローマ教会は彼の所業を認めずに迫害を行うようになり、その迫害はペトルスの活動の後継者であるヴァルド派信徒に及んでいる」。

【シルウェステル1世にローマ帝国の西半分の支配権を譲渡するコンスタンティヌス1世:
皇帝がひざまづき、権力の象徴である冠を自ら教皇に手渡している】
 

中世ヴァルド派の信者間においては、ヴァルド派が「ペトルスという名の人物が、シルウェステルから離れて真理のうちに留まった側近たちの活動を模倣し、復興したことに端を発する集団であり、異端であるローマ教会とは別に純粋な信仰活動に従事する人々」として理解されていた。彼らが生み出した伝承は、ヴァルド派を異端者として迫害するローマ教会に対して自らの純粋性を示すヴァルド派側のプロパガンダであり、逆にローマ教会を異端者扱いすることで「ヴァルド派こそが純粋な福音を保持する真の教会である」という意識を高める効果があったものと思われる。この伝承は1260年から1266年頃にパッサウ司教区の名もなき修道士が記した『対異端ヴァルド派の書』Liber contra Waldenses haereticos で初めて言及されて以来、『選民の書』の他、1420年頃に記されたヴァルド派の詩篇『崇高な読誦』La Nobla Leyczon などにおいても確認でき、16世紀に宗教改革に参加するまで彼らの間で語り継がれていたと考えられる。

【冠をかぶり、コンスタンティヌス1世に馬をひかせるシルウェステル1世:
これはローマ教皇がローマ皇帝以上の権力を持つことの証左として解釈された】
 

さて、末尾になるが、昨年7月に投稿した報告者の博士論文要旨が « La fin des Vaudois vue... d’Extrême-Orient »(仏:極東から見たヴァルド派の終焉)のタイトルで「リュブロンの歴史とヴァルド派の研究協会」紀要La Valmasque の96号に掲載された。ヴァルド派専門誌に自分の研究内容が掲載され、日本語以外の言語で読んでもらえることは本当にありがたい。今後もできるだけこうした機会や媒体を見つけては、研究成果を海外に向けて発信していきたいと思う。

【La Valmasque – L’Association d’Études Vaudoises et Historiques du Luberon, n°96, 2014, pp.11-15】
 

イタリアに来て9ヵ月が経ち、そろそろ現地での研究活動も大詰めを迎える。来月は再びピエモンテのヴァルド派の谷へ足を運び、帰国前の総仕上げを行う予定である。

2015/04/08 12:00