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月度報告書(2015年1月度)犬童芙紗

犬童芙紗

  
まるで夢の世界から引き戻されたかのようだ。

年が明けると、ビーレフェルトの町から徐々にクリスマスの飾りが取り去られ、クリスマスマーケットのスタンドも撤収されて行った。

まず、1月3日のビーレフェルト市街地の様子を。

 
写真1:1月3日、ヤーンプラッツ。クリスマスマーケットのスタンドは撤収され、広場の上空を覆う星空のテントのみ残っている。
 

写真2:1月3日、Alter Markt。クリスマスマーケット開店時刻の11時はとっくに過ぎていたが、スタンドは閉じられたまま。


写真3:1月3日。Alter Marktの劇場前のクリスマスツリーから赤いリボン、赤色と銀色のオーナメント、電飾がなくなっていた。


写真4:市庁舎前のツリー。1月3日に見に来た時には、ツリーの周囲を取り巻いていた電飾はすでに取り外されていた。

1週間後の1月10日、再び市街地を訪れてみると、クリスマスツリーもスタンドもすっかりなくなっていた。


写真5:1月10日、ヤーンプラッツ。広場の上空を覆っていた星空のテントが消えた。


写真6:1月10日、Alter Markt。クリスマスマーケットのスタンドは全て撤収された。

 
写真7:1月10日、Alter Marktの劇場前。クリスマスツリーが撤去された。


写真8:1月10日。市庁舎前に立っていたクリスマスツリーもなくなっていた。

町中からクリスマスの飾りが消え、町に日常が戻ってきた。その様子に一抹の寂しさを覚えたものである。
 
だが、ドイツのクリスマスの歌に、「幼子キリストは年ごとに来たる」(Alle Jahre wieder kommt das Christuskind)という歌詞で始まる《年ごとに来たる》(Alle Jahre Wieder)(作詞:Wilhelm Hey (1789-1854)、作曲:Friedrich Silcher (1789-1860, 《ローレライ》の作曲家))という歌がある。クリスマスは毎年やって来る。今年も再び訪れるクリスマスを楽しみに、皆、日々、仕事や勉学に打ち込むものであろう。


写真9:大学も12日間半(12月23日18時から翌年1月5日6時まで閉鎖)の眠りから目を覚ました。 


写真10:クリスマスの間静寂に包まれていた大学に活気が戻ってきた。

今月は、先月エップレ教授の講座のメンバーに自分の研究プロジェクトについて報告した際、メンバーからいただいたコメントや質問を通じて明らかになった課題に取り組むべく、様々な文献や論文に当たった。ビーレフェルト大学の図書館の蔵書は質・量ともに非常に充実しており、筆者の研究に必要な文献や論文がほぼ全てそろっている。しかも原則開架式であるため、閲覧を希望する文献をすぐ手に取ることができる。ビーレフェルト大学で研鑽する機会を得られたことに対する恩恵を改めて感じている次第である。

筆者は現在、19世紀から20世紀初頭にかけてのハンブルク・ジングアカデミーと公開演奏会の収益金の寄付を通じた慈善団体との関係、それらの関係を通じて見える市民の社会的ネットワークの広がりと変容に関心を抱いており、19世紀ドイツおよびハンブルクにおける市民的慈善活動に関する文献や論文を中心に閲覧している。 

慈善活動は、キリスト教やユダヤ教をはじめ、様々な宗教において、貧困者や病人等の社会的に弱い立場にある人びとを思いやり、救済するものとして奨励されている。しかし、慈善には、社会的秩序の構築や社会統合等の社会的機能もある。慈善の社会的意味や社会的機能は、それぞれの社会によって異なり、時代によっても変容する。例えば、19世紀ドイツの市民社会においては、慈善は市民としての規範の一つと見なされ、市民的特権、名誉、リスペクタビリティーと結びついていた。 慈善行為を通じて、富裕な上層市民/施し手/支援者と困窮している下層民/受け手/被支援者の関係が構築され、両者の間には線引きがなされ、明確なヒエラルヒーが生じる。その一方で、慈善には、施し手/支援者と受け手/被支援者を結びつけることによって、社会を統合するという機能もある。また、慈善活動の実行に際しては、周囲の人びとから人的・金銭的・精神的な協力を得ることが不可欠である。活動支援を得るに際しては、家族・親族間の結びつきや交友関係を通じて形成される個人・集団・組織間のネットワークが活用される。逆に、慈善活動の支援を通じて広がるネットワークもあるであろう。ハンブルク・ジングアカデミーも、慈善目的を伴った公開演奏会の開催を通じて、当時の社会的ネットワークの形成に作用していたのではないか、と考えられる。

また、文献の閲覧と並行して、昨年11・12月にハンブルク州立公文書館(Staatsarchiv Hamburg)で収集した、ジングアカデミーと関係していた慈善団体の年報(Jahresbericht)の分析も進めている。ちなみに、ハンブルク州立公文書館の資料の複写を希望する場合は、閲覧室の受付を通じて、Elbe-Werkstättenに注文することとなる。複写には時間を要するため、作業が完了次第、郵送してもらうよう依頼した。だが、昨年11月および12月に注文した複写物が届いたのは、今年の1月中旬になってからであった。11月に注文した分の複写の完了に2ヶ月も要したのは、注文した枚数がかなり多かったからであろう。12月下旬に公文書館にEメールを送り、複写作業を速めていただけないかお願いしたが、他にも依頼が殺到していて厳しいという回答を得た。ハンブルク州立公文書館で史料調査を実施し、複写を依頼する際には、作業完了までに1ヶ月、注文枚数が多い場合は2ヶ月は見ておいたほうがよいだろう。ちなみに、複写した史料は、保管スペースを取らなくて済むよう、CD-ROMに焼いていただいた。

史料の複写の話に関連して、昨年6月上旬にハンブルク州立・大学図書館(Staats- und Universitätsbibliothek Hamburg)で史料調査を行った際に注文した複写の請求書が、今月上旬になってようやく届いた。複写物が記録されたCDは6月下旬に届いていた。請求書が届くのに6ヶ月以上もかかったことに驚いた次第である。

ところで、こちらの現在の気候についてだが、ビーレフェルトは1月下旬以降、連日0℃前後と気温の低い日が続いている。

1月21日の朝は霜が降りた。

 
写真11:芝生が辺り一面、霜で覆われ、白みがかっている様子が見える。道端には3日前に降った雪がわずかに残っている。


写真12:大学メインビルディング裏手の芝生。芝生が薄くシュガーコーティングされているようにも見えるのではなかろうか。

 
写真13:霜が降りた朝のX棟。その日の朝は晴れ、上空には青空が広がっていて、冷え込みは厳しかったものの、清々しくもあった。

1月30日は吹雪のように激しい降雪に見舞われた。

 
写真14:雪が降りしきる中、大学に向かう。


写真15:大学メインビルディング裏手。雪で視界がさえぎられ、奥のほうが見えない。


写真16:X棟に近づく頃には雪にまみれていた。傘は差していたが、風が強かったため、ほとんど機能しなかった。
空、建物、街路樹、芝生、全てのものが雪で真っ白。

暗く、寒い時期はまだまだ続く。しかし、そのような中、エップレ教授の秘書の部屋のそばを通りかかった時、小さな春を見つけた。


写真17:春の花、スイセン(Narzisse)。飾り付けたのは、もちろん秘書。 


写真18:秘書の部屋のすぐ外の窓辺には、クリスマスツリーに変わって、春の花が飾られていた。
花の周りには、クリスマスの飾りとして使用されていた松ぼっくりやシナモンスティックがそのまま散りばめられている。


写真19:こちらはムスカリ。花がブドウの実のように見えることから、ドイツ語では「ブドウ」(Traube/n)と「ヒヤシンス」(Hyazinthe)をそのまま結合して、「ブドウヒヤシンス」(Traubenhyazinthe)と呼ばれる。


写真20:史学科のフロアのキッチンの窓辺にも春の気配が訪れている。


写真21:こちらはサクラソウの一種、プリムラ(Primel)

季節は少しずつ春に向かって進んでいる。
2015/04/08 12:00