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月度報告書(2015年2月度)有田豊

有田豊


2月に入ってすぐ、朝起きると赤の街・ボローニャが一面真っ白になっていた日があった。報告者がボローニャに来て以来、雪が積もったのは初めてのことで、平日にも拘わらず町の中心部では大勢の人が雪遊びを楽しんでいた。

【マッジョーレ広場で雪合戦に興じるボローニャの人々】

【傾いた2本の塔には、片面に雪が集中している】


当日はイタリア全土で雪模様だったらしく、電車やバスといった公共交通機関にも多くの影響が出たようである。この日、報告者は文献学の先生と面談する予定があったので朝から大学に足を運んだのだが、研究室付近で待っていると、ボローニャ郊外にお住まいの先生から「電車が運行休止になったため、大学に来ることができない」という旨の連絡が入った。雪はボローニャの日常の風景を一変させ、それは少なからず人の心を高揚させる効果があったが、報告者を含め仕事面に支障を感じた人もいたことだろう。

【ボローニャ大学歴史学科、中庭が雪に覆われている】


イタリアでの研究生活もいよいよ大詰めを迎える今月、2月10日から20日にかけて報告者は再びピエモンテのヴァルド派の谷へと調査に赴いた。アルプスの麓ゆえにきっとボローニャよりも寒いだろうと予想していたものの案外そうでもなく、地元の人の話によれば、雪は積もっていても既に春のような陽気が到来しているらしい。トッレ・ペッリーチェにあるヴァルド派文化センター(以下CCV)の方々も「おかえり!」と温かく迎えて下さり、自分の存在がヴァルド派のコミュニティで確実に認知されるようになっていることに嬉しさを覚えた。さらに、新聞ラ・リフォルマ(2014年10月10日号)における報告者についての記事を読んで下さった街の人々から何度か声をかけていただく機会にも恵まれ、図らずもメディアが持つ力の大きさを実感することができた。

【雪の残るベックヴィス通り】
 

【雪の残るヴァルド派教会】


10日間の滞在中、報告者は2つの研究会に参加した。1つは "Teologia valdese nel XVI e XVII secolo"(16-17世紀におけるヴァルド派の神学)、もう1つは "Le strade dei valdesi: l'esilio", allestita nell’atrio comunale, dal titolo “Un itinerario laico tra diritto ad esistere e libertà, ieri e oggi”(ヴァルド派の道程:亡命――存在する権利と自由の間における世俗の道のり、過去と現在)である。

前者の研究会では、前半に宗教改革期のヴァルド派史について、後半に信仰告白を中心としたヴァルド派の神学について、トッレ・ペッリーチェの教区牧師マルチェッロ・サルヴァッジョ Marcello Salvaggio 氏から講義がなされ、その後参加者を交えての討論となった。参加者の顔ぶれは、CCVのスタッフ、CCVの史跡ガイド、歴史を勉強している学生や研究者、地元の人々と実に様々。今回のテーマは、報告者が博士論文を書く時に中心として取り扱った時代に大きく関与するため、自身も積極的に議論に参加することができた。そして、既知の情報の確認だけでなく、新たに有益な情報も得られたので、参加した価値は大いにあったと思う。

【研究会「16-17世紀におけるヴァルド派の神学」にて配布された資料】


後者の研究会では、CCV館長のダヴィデ・ロッソ Davide Rosso 氏からヴァルド派の移住史について簡単な説明があったあと、ゲストとして招かれたアフリカ系移民の方々の体験談を聞き、参加者を交えての議論が行われた(体験談は、彼らの母語であるフランス語で語られた)。17世紀末、フランス・サヴォイア連合軍の攻撃によってヴァルド派の谷は壊滅的打撃を受け、当時「谷」にいた12,000人は、うち2,000名が殉教、残る10,000人はジュネーヴへの亡命かカトリックへの改宗を迫られた。そして、亡命を選んだ信者たちはスイスへと移住するが、現地でヴァルド派は「移民」として扱われ、生活に苦労する面も多々あったという。それから300年ほど経った現在、イタリアにはアフリカや中東から多くの人々が移り住んできている。17世紀と状況は異なるものの、過去と現在を比較しつつ「移民」というものについて改めて考えてみようというのが、当研究会の趣旨であった。移民の人々はマリやリビアなどから来ていて、母国での内戦や職の不安定さが影響で国外移住を余儀なくされ、現在はイタリア語の勉強をしながら、イタリアで生きていく方法を模索しているという。彼らは母国に戻りたくても戦争がある限りそれは難しく、何かやりたいことがあっても異国の地では制限も多くて、結局いまここでできることをするしかないのだということを終始強調していた。「今の自分たちには選択肢がない Nous n'avons pas de choix maintenant」ということを自覚しているのである。彼らの言葉によると、移民の原因は常に「戦争」にあり、戦争がなくならない限り移民もなくならないだろうとのこと。ニュースを見ていると、アフリカも、中東も、戦時下に置かれた状況が続いている。それでも生きていくため、移民同士の相互補助をおこなうアソシエーションを作るべく、今日のゲストの一人が来週フィレンツェの裁判所へ設立申請に行くと話していた。そこからは、少しでも自分たちの現状を改善しようという、彼らの意志が見て取れた気がした。

【研究会「ヴァルド派の道程:亡命――存在する権利と自由の間における世俗の道のり、過去と現在」の様子】


研究会のみならず、今回報告者が谷へ来たのには、1つの大きな目的があった。それは、年に一度この時期に行われるヴァルド派の祭典「2月17日」XVII Febbraio を参与観察することである。1848年2月17日、ヴァルド派はサルデーニャ国王カルロ・アルベルト Carlo Alberto の勅令により、自由に信仰活動を行う権利を得た。以後、2月17日はヴァルド派の間で非常に重要な意味を持つ日となり、1849年以降、2月17日には毎年のように記念祭典が行われている。さらに、この時期になるとCCVでは自分たちの過去を忘れないように、新たな世代に歴史を伝えていくようにと、上に挙げたような各種勉強会を開催している。つまり、この時期はヴァルド派間で「最もヴァルド派ということが意識される時期」でもあるのだ。

2月17日の祭典には、前夜祭が存在する。2月16日の夕方、まずCCVにてテアトロ・デッレ・オンブレ Teatro delle ombre なる影絵劇場が催された。これはヴァルド派の歴史を影絵仕立てで紹介するもので、「谷」に住むヴァルド派の家庭の子どもたちに、自分たちの過去の記憶を伝える活動の一環として行われているらしい。語り部であるCCVスタッフの一人パオラの口調は小学校の先生が生徒に話すような感じで、単語も比較的平易なものが選ばれており、話されている内容は非イタリア語母語話者である報告者でも手に取るようによくわかった。影絵を見る子どもたちはとても楽しそうにしていたほか、会場には子どもだけでなく大人の姿も多数見られ、この小さな影絵劇場が現地の人々にとって一つの重要な催しになっていることが伺われた。

【影絵劇場 Teatro delle Ombre のオープニングで、子どもたちにヴァルド派の歴史を説明するCCVスタッフのニコレッタとパオラ】


【影絵で表現されたヴァルド派の祭典の様子:影絵は光と音を駆使した見事なものであった】


影絵劇場終了後はトッレ・ペッリーチェのヴァルド派教会前に集合し、各々手に松明をもって、とある場所へと移動する。移動先はコッピエーリ Coppieri の教会、トッレの中心地より少し山手にある古いヴァルド派教会である。2月16日の夜には、「谷」の各教区で解放の喜びを示す大きな篝火 Falò が焚かれることが通例になっていて、ここトッレの教区ではコッピエーリがその会場となっている。会場では、松明を持った人々が篝火を中心に円陣を組み、神に祈りを捧げたあと、ヴァルド派の主題歌とも言える讃美歌・第353番「シバウドの誓い」Inno 353 : Il Giuro di Sibaud を斉唱するのだ。あいにく当日は朝から雨模様で、湿気のせいか篝火は強く燃えなかったが、「ヴァルド派」の宗教的意識はこうした祭典を通して定期的に表面化され、今でも強く保持されているのだということを目の前で見せてもらえたようで、また一つヴァルド派内部へ一歩踏み込むことができたような気がする。

【松明を手に、篝火が焚かれる会場へと向かう人々】


【コッピエーリの教会脇の広場で焚かれる篝火 Farò:しかし、折からの降雪と当日の雨模様が原因で、あまり強くは燃えなかった】
 

【篝火を囲むように並ぶ松明】
 

翌2月17日には、午前中に教会で記念礼拝があった。記念礼拝では、教区牧師のサルヴァッジョ氏に代わって、サルデーニャから招聘されたバプテスト教会のクリスティーナ・アルチディアーコノ牧師が説教を行い、さらにはヴァルド派の家庭の子どもたちがコーラスをしたり、ピアノとユーフォニウムのコンサートがあったりと、普段はない特別企画が目白押しだった。礼拝を締めくくる讃美歌は、もちろん INNO 353 である。そして、ヴァルド派の女性信者の方々が「ヴァルド派の衣装」に身を包んで礼拝に参加していたのが非常に印象的だった。こうしたヴァルド派独自の衣装というのも、INNO 353 や LUX LUCET IN TENEBRIS のエンブレムと共に、他の宗派にはないヴァルド派を表すシンボルマークの一つであるため、自身の研究テーマにおける今後の考察対象に含めていけたらと思う。

【2月17日の記念礼拝にて説教を行う牧師クリスティーナ・アルチディアーコノ Cristina Arcidiacono氏:
彼女はバプテスト教会の所属で、この日のためにサルデーニャ島から駆け付けたという】


【ヴァルド派の衣装を身にまとった友人ジェニー Jennj と:
この衣装は祖母から娘、娘から孫へと、家族で代々受け継がれていくものらしい】


ボローニャに戻ってからは、ボローニャ大学歴史学科の写本研究所 RAM (Ricerche e Analisi Manoscritti) にて、文献学のマッダレーナ・モデスティ教授 Prof.ssa Maddalena Modesti と面談した。頭脳循環プログラムにおいては現代ヴァルド派史を研究テーマとしている報告者であるが、今後は中世のヴァルド派にも目を向けていこうと、帰国前に本場の地にて西洋の文献学や古文書学に関する基礎知識だけでも得ておこうと考えている。モデスティ教授からは、文献学を学ぶにあたっての基礎を身につけるに有益な研究書を紹介していただいたほか、さらには再来年の夏に RAM 主催で文献学の基礎を学びたい研究者に向けての夏期集中講座を行う計画があるらしく、よければそれに参加してみてはどうかと勧めていただいた。自身の研究で本格的な写本分析が必要な場合は、ボローニャ大学と報告者の所属大学とで連携して写本解読の合同プロジェクトを組むという非常に有難い提案もして下さったので、今後もこの研究所とは連絡を取り続けていきたい。

【ボローニャ大学写本研究所 RAM にて:
紹介していただいた研究書は非常に密度の濃いものばかりだったが、どれも既に絶版となっていた】


長らくイタリアひいてはヨーロッパで続けてきた研究活動も、いよいよ来月が最終月である。悔いの残らないよう、3月10日までラストスパートのつもりで研究に取り組みたいと思う。
2015/04/08 12:00