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頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム~EU枠内外におけるトランスローカルな都市ネットワークに基づく合同生活圏の再構築

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月度報告書(2015年2〜3月度)犬童芙紗

犬童芙紗

  
ビーレフェルトは少しずつ春の気配が感じられるようになった。


写真1:X棟(新棟)のそばで日向ぼっこする学生たち

週市(Wochenmarkt)には、再び花屋のスタンドが出てきた。


写真2:Kesselbrink広場の週市① 

スタンドの華は、やはりチューリップ。

 
写真3:「お待たせしました!今年もヘアフォート産チューリップが入りました!」
ちなみに、ヘアフォート(Herford)は、ビーレフェルトの北東部に隣接する人口65,000ほどの町である。


写真4:スタンドの売り場に並ぶ色とりどりのチューリップ


写真5:所狭しと並ぶチューリップ

チューリップの他にも、プリムラ、パンジー、キンポウゲ、ベリス等、様々な花が見られた。


写真6:プリムラ(Primel)


写真7:パンジーは、ドイツ語で "Stiefmütterchen"、「小さな継母」。
名前の由来は、一つの花の花びらが互いに「継母」(Stiefmutter)とその「連れ子たち」(Stieftöchter)、
および「継子たち」(Stieftöchter)という関係を表しているように見えるからだという。


写真8:キンポウゲ(Ranunkel)


写真9:ベリス(Bellis)


写真10:Kesselbrink広場の週市②


写真11:Alter Markt広場の週市

昨年4月にビーレフェルトに到着して間もない頃、山積みにされたチューリップを目の当たりにして、驚いたものである。今年もその季節が巡ってきた。


写真12:スタンドの売り場に山積みになったチューリップ

 
写真13:花屋のスタンドがチューリップに占領される中、
手前のバラたちもチューリップに負けまいと懸命に存在感を放とうとしているように見える。

史学科のフロアには、復活祭のウサギ(Osterhase)がやってきた。今年の復活祭(Ostern)は4月5日であり、まだ少々早い気はするが、早めに春を運んで来てくれたのであろうか。


写真14:秘書の部屋のすぐ外の窓辺。花瓶の枝に、卵がなっていた。卵もウサギと並ぶ重要な復活祭のシンボルである。 

 
写真15:花瓶のそばにウサギがやって来た。 


写真16:フロアのキッチンのラッパズイセン(Osterglocke)のもとにもウサギが現れた。 

さて、今月は、3月22日に大阪市立大学高原記念館学友ホールで開催される国際シンポジウムでの研究報告の準備に追われた。昨年10月28日にビーレフェルト大学で開催された、大阪市立大学とビーレフェルト大学共同の国際共同セミナーに続いての英語での研究報告となり、昨年4月からの約1年にわたるビーレフェルト滞在を通じて得た成果について報告する予定である。

また、2月中旬と3月初めに、エップレ教授に研究に関して相談する機会を設けていただいた。エップレ教授は、筆者が一次史料の分析や関連する二次文献の読解を通じて抱くようになった問題について、真剣に聞いてくださり、とりわけ「問い」(Frage)の立て方に関してコメントをいただいた。また、それらの問題について考察する手がかりとなるような文献もいくつか紹介してくださった。この一年間、エップレ教授による研究の枠組みや理論に関する指導を通じて、筆者に大局的見地が開かれたように思える。
  
筆者のビーレフェルト滞在は3月12日で終了する。滞在最後の1週間は帰国準備で多忙を極めた。筆者は大学のゲストハウスIBZに滞在しており、家具付きであったため、家具等の処分に患わされることはなかった。しかし、こちらに滞在中に荷物の量が増え、荷造りが大変となった。日本の自宅に向けて郵送するための郵便物は7箱にもなり、その内3つは15kg前後、4つは10kg前後となり、IBZから大学内の郵便局まで500メートルほどの道をIBZの管理人(Hausmeister)から借りた台車で1つずつ運んでいった。 

出発2日前の午前中には、市庁舎で転出届(Abmeldung)を済ませた。転出届の手続きは、担当者がパスポートを確認し、転出日等に関する質問への回答をコンピュータに打ち込んでいくだけという簡単なもので、所要時間は3分ほどであった。しかし、市庁舎には多くの人びとが訪れており、手続きまでに1時間近くも待たされた。

帰国前日には、大学で、メンザ(食堂)やコピー機の支払に利用していたチャージ式カードの返却とそれに伴うカードの残額の返金手続を行い、図書館から借りていた全ての本を返却した。また、エップレ教授や秘書のユッタ・ヴィークマンさんに、滞在中の御礼と別れの挨拶を告げた。ユッタさんは、とりわけ、筆者の研究室の手配や図書館カードの作成においてお世話になり、また、時々筆者との雑談にも付き合ってくださった。ユッタさんは仕事に対していつも精力的であり、ビーレフェルト大学の史学科は彼女のおかげで回っていたと言っても過言でない。ユッタさんの好意に感謝を表したい。

エップレ教授とは、その日に昼食をご一緒する予定であったが、教授の都合でキャンセルとなり、その日の夕方にやっとお会いすることができた。エップレ教授からは、今後の研究に対する激励のお言葉をいただき、また、帰国後もメールをくださるように、との温かいメッセージもいただいた。エップレ教授は、筆者の言わんとしていることを根気強く聞いてくださり、非常に寛大な姿勢で接してくださった。エップレ教授に心より御礼申し上げる。 

その日は、向かいの研究室の研究員ベティーナ・ブラント氏と夕方、お茶をご一緒する予定も入っていた。しかし残念ながら、ブラント氏はご体調を崩され、大学に来られなくなってしまったため、予定は中止になった。ブラント氏からは、前日メールで、翌日の予定を中止しなければならない旨を伝えられ、別れのメッセージをいただいた。ブラント氏とは、昨年5月に開催された、ビーレフェルト大学とノートルダム大学(University of Notre Dame, アメリカ合衆国インディアナ州)の国際共同ワークショップ(詳しくは2014年5月度の派遣報告書に記載)を機に知り合った。そのワークショップには、日帰りの研修旅行(Exkursion)も組み込まれていた。研修旅行でその内の一都市、ハーメルン(Hameln)を訪れた際、筆者は、「ねずみ取りの家」(Rattenfängerhaus)の前で案内役の教授から突然(当日、出発する前に予告されてはいたが)、『ハーメルンの笛吹き男』伝説を語るよう指示された。筆者が指名されたのは、『ハーメルンの笛吹き男』伝説が、ドイツから遠く離れた所に住んでいる日本人でも知っているくらい、世界中で有名な物語だということを示すためであった。ブラント氏は、お別れの挨拶の中で、筆者による『笛吹き男』伝説の語りそのものが「伝説的だ」(legendär)とおっしゃっていた。ブラント氏とは、その後も研究室が近いということもあり、時々昼食に誘っていただいたり、お話ししたりして、親しくさせていただいた。10月28日にビーレフェルト大学で開催した、大阪市立大学とビーレフェルト大学の国際共同セミナーの際も、ブラント氏は多忙な業務の合間をぬって、筆者の発表を聞きに来てくださった。ブラント氏に対しても、深く感謝の意を表する。

また、Welcome Centreも、筆者のビーレフェルト滞在にとって大いなる助けとなった。Welcome Centreは、外国からのドクトラント、ポスドク、客員研究員をサポートする専門組織であり、ドイツに滞在するために必要な諸手続きや住宅の確保等に関して、様々な相談に乗ってくださった。筆者が銀行口座を開設する際には、Welcome Centreのスタッフが電話で銀行にアポイントメントを取り、当日、銀行の担当者のもとまで付き添っていただいた。また、ビザの申請に際しても、Welcome Centreのオフィスでビザの申請に必要な書類を一つ一つ確認してくださり、申請当日に同行してくれるスタッフを手配してくださった。筆者は、およそ2ヶ月に1回くらいの頻度で、Welcome Centre が月1回催すInternational Lunchに参加し、スタッフの方々と顔馴染みとなった。ビーレフェルト大学は、外国人研究者をサポートする体制がよく整備されていたものである。Welcome Centreにも帰国直前に御礼の挨拶にうかがった。

大学からの帰り際には、知り合いの女性研究者から"Man trifft sich immer zweimal im Leben."という言葉を贈られた。それは、「人は人生において必ず2回出会うもの」、つまり、人は最初、偶然の出会いによって互いに知り合い、その後、長い年月を経て、どこかで再会するものだという意味である。

メインビルディングでは、Modernisierung(近代化)に向けた改築工事の準備として、メインビルディングの第一段階の工事で対象となる箇所を隔離するための仕切り壁の建設が始まった。


写真17:仕切り壁が建設されていく様子


写真18:仕切り壁の長さは日に日に延びて行った。
 
Modernisierung(近代化)工事の終了予定は2025年。10年後、工事完了後のビーレフェルト大学の姿を見に訪れたい。 


写真19:2015年3月11日17時半、X棟前より、メインビルディングを臨む。

3月12日、ビーレフェルトに一旦別れを告げ、電車で帰国便が出航するデュッセルドルフ国際空港へと向かった。再会を期待しつつ。


写真20:2015年3月12日、ビーレフェルト大学のX棟(新棟)に通ずる道にて


写真21:2015年3月12日、快晴の空に見送られながら、ビーレフェルトから旅立った。 

今後も、今回のビーレフェルトでの研究滞在を通じて得た経験を活かして、さらに研究を進めていきたい。今回、ビーレフェルトで研鑽する機会を与えてくださった本プログラムの関係者の皆様にこの場を借りて、心より御礼申し上げます。
2015/04/08 12:00