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月度報告書(2015年2〜3月度)原田亜希子

原田亜希子


2月に入り、ついに派遣期間も残すところわずかとなった。3月のシンポジウムの原稿を準備するとともに、ボローニャ・ローマの文書館、図書館での史料や研究文献の最後の調査・収集に励んだ。特にローマではカンピドーリオ文書館にて今まで調査してきた都市評議会議事録に加えて、16世紀の都市政府が「ローマのポポロの地」と呼ばれるローマ近郊の封土に対して行っていた活動記録の調査も行った。都市政府は中世以来ローマ近郊に封土を所持しており、近世にその数は少なくなるものの、封土に対する活動は都市評議会議事録の中にも多く見られる。今回新たに調査を始めた史料は都市評議会議事録には書かれていない具体的な封土に対する都市政府の活動を知る手がかりとして、都市から派遣されたポデスタからの手紙や封土の臣民からの直訴、裁判記録などが収められている史料である。ローマ近郊には都市政府の封土だけではなく、都市政府には直接関与することが禁止されていながらも都市に影響力を行使していたBaroniと呼ばれる封建領主の封土も点在し、またこれらの封土の存在は国家形成を目指す教皇も関心を寄せていた。そのため封土に対する都市の活動は、都市政府のみならず、Baroniや教皇との関係も浮かび上がる興味深いテーマである。文書館員の方に紹介していただいたこの史料は今後の研究を進める上でも有益なものであり、今回は中でも16世紀に関するものに目を通した。

また同時に封土に関する研究文献を集めるべく、ローマの各図書館にも足を運んだ。ボローニャの図書館のシステムに関しては6月の月例報告書でも触れたが、非常に使いやすい点が特徴である。また蔵書も充実しており、私が閲覧を希望するほぼすべての図書をボローニャ内で手に入れることができた。とはいえ、近世ローマに関する研究書はローマにしかないものも多い。ボローニャと同じくローマの図書館も街中に分散している。ただしボローニャとは違い街自体が大きいために、ボローニャのように各図書館内を徒歩で移動することができない点は少し不便である。蔵書検索にはOPAC SBN (こちら)を主に使用した。これは国立図書館システムに参加しているイタリア内のすべての図書館の蔵書を一度に調べることができるサイトである。ローマ内のほぼすべての図書館をカバーしているが、中にはローマ第三大の大学図書館のように参加していないものもあるために、別途調べる必要がある。

私が主に使った図書館は、近世史の蔵書を多く持つBiblioteca storia moderna e contemporanea(近現代史図書館)、中世専門のBiblioteca dell’Istituto storico italiano per il medioevo(中世史図書館)、そのほかBiblioteca Nazionale di Roma(ローマ国立図書館)、Biblioteca archeologia e storia dell'arte(考古学・美術史図書館)、ローマ第三大学人文学図書館である。また時にはローマ国立文書館付属図書館や、図書館とはいえ多くの手稿本も所蔵するBiblioteca AngelicaやBiblioteca Casanatenseも利用した。

なお、Biblioteca Angelicaはローマのアウグスティヌス会の拠点聖アウグスティヌス教会横にあり、主にアウグスティヌス会をはじめとした教会関係の史料・文献を多く所蔵している図書館である。図書館の名前は1604年に図書館を創設したアウグスティヌス会修道士Angelo Roccaに由来する。現在も20万冊ほどの蔵書数を誇り、また閲覧室は当時のままの姿を保持しているために見るだけでも美しく、中にいるとまるでタイムスリップしたかのような感覚になる(残念ながら内部の写真撮影は禁止されているが、近年では映画「天使と悪魔」の中で使用されている)。

一方Biblioteca Casanatenseは1701年に枢機卿Girolamo Casanatenseの遺言に基づき創設された、ドメニコ会付属の図書館である。約40万冊の蔵書に加え、文書のみならず写真や素描などが保管されていることでも有名である。長らく閲覧室は修復作業のために閉鎖されていたが、2月から再び一般に公開されることになり、資料の閲覧も通常通り行われることになった。なお、この図書館に隣接したイエズス会の教会Sant'Ignazio教会はだまし絵のクーポラがあることで有名であるが、一説にはこの教会にクーポラを建設することができなかったのは隣接する図書館を所持していたドメニコ会の修道士が、クーポラのせいで図書館を照らす光がさえぎられることを懸念して反対したことが原因とも言われている。


近現代史図書館の入っているMattei宮の階段装飾


中世史図書館入口(カピトリーノ文書館横)


ローマ国立図書館


考古学・美術史図書館のヴェネツィア広場に面した入口


ローマ国立文書館(正面に見えるのがボッロミーニの設計したSant’Ivo教会)


カサナテンセ図書館入口


左がSant’Ignazio教会、右がカサナテンセ図書館(非常に隣接していることが分かる)


Sant’Ignazio教会内部、だましえのクーポラ

ボローニャでも同様に史料や研究文献を収集し、またお世話になった先生方に挨拶に伺った。Muzzarelli先生にはシンポジウム用の原稿を見ていただくとともに日本での再会をお約束し、Mazzone先生には今回のボローニャでの調査をまとめ報告をした。また体調不良のためこの一年間大学でお会いすることができなかったProdi先生とも、偶然図書館内でお会いし、最後に研究内容を簡単にお話しするとともにご挨拶することができた。

3月に入ると徐々に気候も穏やかになり、季節の代わりゆく様子を肌で感じられた。本格的に帰国準備のための荷物の整理や手続きを進めると同時に、特に最後の2週間は積極的にボローニャ市内で今まで訪れたいと思いながらもまだ足を運んでいなかった場所を回った。その一つがボローニャ市庁舎となっているコムナーレ宮の3階にあるボローニャ市美術コレクション(Collezione comunale d'arte Bologna)である。コムナーレ宮の中にひっそりとあるためにあまり観光客は多くないが、22もの展示室にはアミーコ・アスペルティーニやフランチェスコ・フランチャなどボローニャで活躍した画家を初め、カラッチやグエルチーノなどボローニャ派の傑作も展示され、非常に見ごたえのあるコレクションである。個人的にはドナート・クレティの全18点もの作品を一堂に見られたことは圧巻であった。また私にとってこの場所に帰国前に訪れたかった理由とは、この場所がボローニャに教皇庁から派遣されていた教皇特使の居住地であったためである。展示室の一つSala Urbanaでは今でも1327年から1744年までの全教皇特使の紋章が壁一面に描かれた様子を見ることができる。


ボローニャ市美術コレクション内部


Sala Urbanaの教皇特使の紋章

また現在ちょうど行われているボローニャ美術を紹介する3つの展覧会にも帰国前に足を運んだが、どの展覧会も非常に興味深いものであった。まず一つ目がカスティリオーネ通りにある新ペーポリ宮で行われている展覧会 “ALLA MANIERA DI GUIDO RENI. DIPINTI DAI DEPOSITI DELLA PINACOTECA NAZIONALE DI BOLOGNA”である。同じくカスティリオーネ通りにある旧ペーポリ宮は2012年にボローニャ市博物館としてよみがえり、ボローニャの都市の歴史を様々な展示法(鏡や光を使った水路の再現や3D映画など)を用いて紹介している。そのちょうど向かい側にある新ペーポリ宮(Palazzo Pepoli Campogrande)はボローニャ市博物館に比べるとひっそりとした外観ではあるが、無料で公開され、展覧会ではボローニャ国立絵画館の倉庫に保管されている作品の中からグイド・レーニの弟子のものをテーマに沿って展示していた。展示作品もさることながら私にとって非常に印象的だったのは各部屋の天井を飾る豪華なフレスコ画である。そもそもこのパラッツォは、1653年にオドアルド・ペーポリがセナトーレに選出された際に、新しい居住地として旧パラッツォの向かいに建設されたものである。各部屋の装飾は17世紀後半にボローニャで活躍していたD Maria CanutiやGiuseppe Maria Crespi、Donato Cretiといった一流の画家の手による。16世紀以降セナトーレ出身家系が自身の名誉のために豪華なパラッツォを建設する例は多くみられ、これらのパラッツォは現在もボローニャ市内に多く残っている。しかしその多くが現在も居住地として使われているために残念ながら一般に公開されてはいない。とはいえこれら天井装飾はまさに動かすことのできない傑作であり、また当時のセナトーレ家系の威信の表れである。新ペーポリ宮のフレスコ画は当時のセナトーレ家系の様子を想像させ、非常に印象的であった。


新ペーポリ宮内部のフレスコ画1


新ペーポリ宮内部のフレスコ画2

二つ目の展覧会は少し時代をさかのぼり、14-15世紀にボローニャで活躍した画家ジョヴァンニ・ダ・モデナにささげられた展覧会である(Giovanni da Modena Un pittore all'ombra di San Petronio)。市立中世博物館で行われたこの展覧会は、展示数20点ほどと規模はそれほど大きくはないものの、イタリア各地の美術館や個人所有の作品が集められ、彼の初の回顧展である。また会場の中世博物館もボランティアでガイドをしている地元の方によると、ヨーロッパで二番目に大きい中世美術コレクションを有しているという。私は今回初めて訪れたのだが、Maggiore広場にあるNettunoの噴水の雛型や、ボローニャ大学の歴代の教授の墓碑彫刻、膨大な写本コレクションなどが展示され見ごたえのある博物館であった。さらに展覧会は展示室だけにとどまらず、ボローニャ市の象徴である聖ペトロニオ聖堂内に続く。ジョヴァンニが活躍した時代はまさに聖堂の装飾が進められていた時代であり、聖堂内にはジョヴァンニの作品も多く残っている。中でも最も有名なのがBolognini礼拝堂の「最後の審判」である。なお、この最後の審判の地獄の中にマホメットが描かれているために、以前テロの予告がされたことがあり、一時期この聖堂に入る際には荷物チェックが行われたことがあったが、今回も昨今の情勢の悪化から聖堂に入る前に簡単なチェックが行われていた。今回聖ペトロニオ聖堂では、この展覧会のために、Bolognini礼拝堂を含め5つの礼拝堂が公開されていた。普段聖堂内のすべての礼拝堂は鉄格子が閉まっており、その外からしか見ることができないが(ただし最近はBolohnini礼拝堂のみ有料で中を見学できるようになっている)、展覧会のチケットを購入すると係りの方が順番に5つの礼拝堂の扉を開けて中に入れてくれるシステムになっている。私が訪れた時間はたまたまほかに誰も見学者がいなかったために、一人で礼拝堂の中を見学することができた。この一年間何度も訪れた教会ではあるが、礼拝堂の中に入るのは初めてのことであり、普段とは違う眺めは非常に新鮮であった。


市立中世博物館入口


中世博物館内部


聖ペトロニオ聖堂内部


左から2番目の礼拝堂がBolognini礼拝堂

3つ目の展覧会は市立中世博物館の隣にあるPalazzo Favaにて行われている “Da Cimabue a Morandi: Felsina Pittrice”である。この展覧会はちょうど80年前にボローニャ大学でボローニャ美術に関する授業を行った美術史家ロベルト・ロンギにささげられ、13世紀から20世紀までの約700年の間にボローニャで活躍した画家の作品約200点を一堂に介したものである。また展覧会が行われたPalazzo Favaは1584年にFilippo Favaがルドヴィーコ、アゴスティーノ、アンニーバレ・カラッチに装飾を依頼し、カラッチの見事なフレスコ画が残る場所であり、この場所でボローニャ美術の展覧会が行われたことも象徴的であった。そもそもボローニャ美術は歴史的にも長らくフィレンツェやヴェネツィアの陰で長らく評価されてこなかったといえる。ロンギ以降評価されてきているとはいえ、日本をはじめまだあまり知られていないのも事実である。私自身今回ボローニャに来るまではボローニャ派の絵画にあまりなじみがなかった。しかしこの一年教会内の装飾など様々なところで目にするうちにその美しさを再発見することになった。そのため今回の展覧会は私にとってこの一年の集大成として、非常に感慨深いものであった。(なお、カラッチと同じく17世紀のボローニャ派の巨匠グエルチーノの展覧会が現在東京で開催中である。こちらも帰国後ぜひ訪れたいと考えている。)


Palazzo Favaの入口、後ろには中世史博物館が見える

最後にイタリアに長期滞在するのは今回で二度目であるが、前回のローマとは全く違う都市であるボローニャにて一年過ごしたことで、自身の研究に新たな視点を導入できただけではなく、美術をはじめ様々な発見があり、イタリアに対する知識をさらに深められたように思う。またポルティコの続く街並みは、バロックの装飾が目をひくローマとは違い、ゴシック様式の中世の面影を色濃く残した街である。しかしこのように古いものを大切に保存しているだけでなく、同時に新しいことに挑戦しようとする意識を強く感じる街でもあった。特に今ボローニャはStrada MaggioreやUgo Bassiなど中央通りでの交通を閉鎖し、大々的な工事を行っている。これは新しい交通ラインの確保のためであり、また今年開催されるミラノ万博にあわせての試みである。また興味深いのは、工事のためにチェントロの地面を掘るたびに古い遺跡が出てくることである。Strada Maggioreの工事ではテンプル騎士団の秘密地下通路が発見されたこと、Ugo Bassiからは様々な古代の遺物が発見されたことが連日ボローニャの地方紙を賑わせていた。私自身工事の様子を写真に撮ろうとしていたところ、たまたま工事の作業員が何かを発見し、大きさを測って記録写真を撮っているところを目撃した。エトルリア起源の歴史を誇るボローニャが古いものを大切にしながらもダイナミックに成長していこうとする様子が印象的であった。またなんといってもボローニャは大学の街として、若者のエネルギーにあふれている点も印象的であった。ちょうど帰国日近くに大学のガイダンスが行われ、ガイダンスで配られた資料を持った多くの若者がボローニャ駅にあふれかえっている様子を目にした。1088年の創設以来ヨーロッパ中から若者が訪れたボローニャ大学は、今でもイタリア各地からの若者が集まる場所である。中世博物館で見たボローニャ大学の歴代の教授の墓碑には、生前の授業の様子が掘られているものが多かったが、その中に見られる学生の様子は自身と重なり興味深かった。ヨーロッパ最古の大学で一年間研究することができたことは、私にとって非常に貴重な経験となった。


Ugo Bassi通りの工事の様子


発見されたものを写真に取る様子


中世史博物館にある墓碑彫刻の一部(ボローニャ大学学生の様子)

今回このような機会を与えていただきましたこと、この場を借りてお礼申し上げます。
2015/04/08 12:00